{騙し}{子供}=}(2)
{思っている}{抗える}{ウェブの発展}{希哲15年8月8日のツイスト}{希哲15年8月8日}{Apple}{ツイスト}{時間稼ぎ}{本気}{子供}...=}(11)
{希哲15年7月の一日一文}{死ぬまで}{鳴かず飛ばず}{世に出た}{不思議な人}{数学の教科書}{数学塾}{特殊な環境}{助けられる}{特別な力}...=}(139)

{希哲館はなぜ潰れないのか? K#F85E/A-E74C-9EBB}

一日一文という日課再開して3ヶ月経ち,希哲館事業についてもだいぶ伝えやすくなったと感じている。

この希哲館事業も,11月1日14周年を迎える。もっと遡って,17歳の時の「閃き」を原点とするなら,もう20年近い歴史がある。今まさにデライト収益目標達成に向けて大詰めという時期だが,これだけ長い間,まともな収益がなく事業が存続してきたことには,いくつかの理由がある。

覚悟

まず,「日本はどう逆転するか」や「私の政治思想」などを読めば分かるように,希哲館事業構想は,「人類史上最大の事業構想」と言っても過言ではない無謀の極みであり,当然ながらその自覚絶望から始まっている。

希哲館事業の可能性気付いた17歳の私は,その過程にある,あらゆる困難想像し,絶望と戦うことになった。

この前年,アメリカ同時多発テロ事件があった。希哲館事業の根底には,あらゆる宗教,あらゆる思想を越えて世界連帯させうる“新しい価値観”への世界的要請があったように思う。

今となっては笑い話に近いが,そんな世界情勢もあり,私は,イスラム過激派にでも捕まって自分が生きたままを斬られたり,日本を追われて世界放浪したりするのではないか,そんなことまで想像していた。そんな極限状態でもこの事業を育てるために,あらゆることを考えた

閃きから5年後,私はあらゆる困難と戦う覚悟を決め,希哲館事業を始めた。全ての,自分以外の全ての人間敵に回すかもしれない,人生の全てをかけた努力が全く報われないかもしれない。それでも自分はこの事業尽力しよう。そういう覚悟だ。

希哲館館章竜胆蛍」は,この絶望的暗闇に飛び出す一匹を模したものだった。希望儚い光であり,滅びの美学のような,私の人生観覚悟象徴するものでもあった。

それから14年近く経つが,想像していたような貧苦迫害もなく,この日本社会ぬくぬく楽しくやってこれてしまった。稼げなくても大して困らず,あの覚悟のおかげで,むしろぬるま湯のように感じていた。

環境

希哲館事業を始めたばかりの20代の私には,自分の5年先の人生が全く想像出来なかった。20歳ちょっとの時は25歳くらいで死んでいるだろうと思っていたし,25歳くらいの時は30歳まで生きていないだろうな,と思っていた。いま私は36歳だが,健康そのものだ。

家族にも親戚にも見放され……というようなことも覚悟していたが,そんなこともなく,関係は割と良好だ。

もっと若い頃の私は,端的に言って「極度の世間知らず」だった。希哲館事業なんてものを始められる人間は,日本どころか世界を見渡してもまずいない。それが出来るのだから,何か自分には特別な力が宿っているのではないか,などと思っていた。自分は矢吹丈みたいなものだと思っているくらい,環境というものを無視していた。

散々周囲に助けられ世間について知るごとに,そういう考えは出来なくなった。どんなに覚悟があり性格が向いていても,この特殊な環境が無ければここまで来れなかっただろう。

性格

最近,父親と話すことが増え,に似た性格希哲館事業を続けていられる小さくない要因だなと思う。

父は子供の頃から数学が好きで,埼玉大学数学科に入ったものの学生運動ごたごた中退,その後は情技(IT)起業してみたり色々あり,いま70歳を越えているが,画期的数学の教科書を作って数学塾を開こうと奮闘している。

いつまで経っても金を稼ぐのが苦手で,ぼろぼろになりながら夢追い人を続けているような人だ。なけなしの貯金デライト出資してくれるような不思議な人でもある。

そんな父を見ていると,70歳80歳になっても希哲館事業を続けている自分が容易に想像出来てしまう。

私も,もう希哲館事業について考え始めてからの人生の方が長い。デライトで多少世に出た感はあるが,それはつい去年のことだ。仮にデライトがずっと鳴かず飛ばずだったとしても,死ぬまでこんなことを続けているのだと思う。

{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{論理共感覚}{高度非言語思考}{もじり}{不思議な能力}{組み立てる}{思考速度}{言語思考}{言語の制約}...=}(84)

{非言語思考と論理実装主義 K#F85E/A-E74C-A114}

昨日の一日一文で「高度非言語思考」という言葉久しぶりに使ったので,今日はこれについて少し書いてみよう。

人間にとって,言語思考切り分けることは難しい。ある程度高度な概念を扱う思考をする時,言語自然に伴なうものだ。

他方,言語が無ければ思考出来ないのかといえば,そうではないのも明らかだ。言語獲得以前の幼児にもにも思考能力はある。こうした,言語を必要としない程度の非言語思考を「原始非言語思考」と私は呼んでいる。

通常は言語によって為されているような高度な概念を扱う非言語思考,これがつまり「高度非言語思考」だ。


私は,デライト基礎理論である輪郭法と,それを中核とした希哲館事業構想17歳くが,この時に実践していたのが高度非言語思考だ。

なぜそんなことを始めたのかと言えば,言語の制約を越えたかったからだ。当時の私は,技術以上に哲学関心がある少年で,様々な思想の対立や現代思想停滞乗り越えるには,「言語思考」の速度遅過ぎると思っていた。

つまり,概念名前を付けたり,文章的に整理するのではなく,直感に従って,手で組み立てるように思考を組み立て,言語表現については概ね形が出来上がってから後付けすればいい,と考えた。その結果が「閃き」だったわけだ。

デライト使い方理解している人なら,この思考法がデライトにそのまま反映されていることに気付くだろう。この頃の私は,まさに「あれ」だけで思考していた。


私にはもともと,「論理共感覚」と呼ぶ不思議な能力があった。論理視覚触覚連動しているような共感覚(異種連動感覚だ。子供の頃から,論理というものを,目の前にあるモノを目で見て,手で触るように扱えた。つまり,頭で考えるというより,感じるように思考を組み立てることが出来た。

論理共感覚は,高度非言語思考可能にすると同時に,論組プログラミングと強く結び付くことになった。ごく直感的論組プログラムを組み立てることが出来たからだ。「論組」という翻訳語自体,プログラム本質論理にあるという感覚に基いて造ったものだ。

そして,論組による実装最良知の裏付けとする考え方を「論理実装主義論理実証主義もじりと呼ぶようになった。デライト開発はまさにその実践と言える。

私は,高度非言語思考,論理実装主義から極めて独特な思想体系構築することになるが,当然ながら一文で書き切れることではないので,折に触れて少しずつ書いていこうと思う。

{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{高度非言語思考}{閃きの文化}{メカブッダ}{軽常化}{仏教の歴史}{触れる仏性}{非言語的}{階層的秩序}...=}(81)

{仏教とデライト K#F85E/A-E74C-8C25}

日本仏教大国だが,その日本で生まれたデライトにも,仏教の影響かと思うことがいくつかある。

もともと,私自身が子供の頃から仏教的な考え方をしていた。小学生の頃,何も考えていなさそうな微生物が,自分で作り出した悩みにとらわれている人間よりも「賢い生き物だと思っていた。特に仏教の教えを知っていたわけではないが,「縁起」のようなことも独自に考えている子供だった。

私はしばしば,17歳デライト基礎理論でもある輪郭法を思いついたことを「閃き」と呼んでいるが,これ自体,「高度非言語思考」と呼ぶ独特な思考法によって得たものだ。つまり,「言語にとらわれず思考すること」を独自に追求していたわけだ。これが仏教的かどうかはさておき,明らかに西洋思想的ではない。

語りと悟り

私は西洋思想を「語りの文化」,東洋思想を「悟りの文化」と表現することがある。

言語的であるということは,順序的であり一面的であるということだ。言葉は順番に並べることしか出来ないが,それゆえに階層的秩序と相性が良い。西洋思想における「ロゴス中心主義」というやつだ。

しかし,当然ながら世界平面ではなく,決まった順序で捉えられないことが数多くある。東洋思想は大昔から仏教を含めた「悟りの文化」を発達させ,この世界非言語的に捉えようとしてきた。

19世紀頃から,「西洋人」達は西洋思想限界東洋思想可能性に気付き始めた。先日の一日一文で触れたニーチェ仏教傾倒していたことが知られている。20世紀以後の思想は,多かれ少なかれ東洋思想の影響下にある。

悟りと閃き

さて,デライト出発点となった「閃き」だが,実は,もともと「悟り」と呼んでいた。後に語弊があるとして改めたが,それほどの神秘的体験だった。

実際,この閃きから出来あがったデライトは,あらゆる情報が固有の名前を持たずに垣根なく連環し,立体階層構造を成すようになっている。これは私が16歳頃から実践していた高度非言語思考具現化したものでもある。

一昨日の一日一文で書いた「黄金状態」というのも,実質的に悟りの境地みたいなものかもしれない,と思うことがある。デライトによって誰でも体験出来るなら,これに勝る用者ユーザー体験は無いだろう。

もしかしたら,デライトを「触れる仏性」として「カジュアル悟り」を広めることが出来るかもしれない。不謹慎なようだが,必ずしも小難しい理論や厳しい修業によらず,時代に合わせて大衆化軽常カジュアルしてきたのが仏教の歴史だ。

メカソクラテスでもありメカブッダになるかもしれないデライトは,悟りの文化語りの文化統合した「閃きの文化」と言えるかもしれない。

{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{SNS 嫌い}{社交辞令}{社会的行為}{腑に落ちた}{最高の誉め言葉}{容姿が良い}{喧嘩が強い}{学校の勉強}...=}(113)

{誉められて嬉しかったこと K#F85E/A-E74C-5C5B}

私には,誉められ嬉しいと思った記憶がほとんど無い。誉められるのは,どちらかといえば苦手なくらいだ。先日の一日一文では私の独特な金銭欲について書いたが,これは私の独特な名誉欲かもしれない。

なぜ誉められても嬉しくないのかと考えてみると,そもそも幼い頃に自尊心完成されてしまっていた気がする。自尊心に欠けているところが無いので,いわゆる承認欲求的な感情も無い。

誉め言葉をもらっても,すでに満杯に余計なものを注がれているような感覚で,こぼれたのを拭くのが面倒になる。それが社会的行為である以上,例えば,謙遜して見せなければならないとか,こちらも社交辞令で返さなければならないとか,新しく得たものも無いのに“対応”を求められるわけだ。

私の SNS 嫌いもこんなところから来ている気がする。好意的反応をもらうことはもちろん「ありがたい」と思うし,仕事であれば必要なことでもあるが,個人的心情としては嬉しさより面倒臭さを感じてしまうことが多い。

誉められて嬉しくないのだから,貶され悲しいこともない。むしろ,他人が顔をしかめるようなことをしていた方が,自由を感じることが出来て面白いとすら思っていた。

子供の頃からこんな性格だが,大人になってからも,名誉ある地位に就きたいとか,ナントカが欲しいとか,テレビネット有名になりたいとか,そういう感情を抱いたことが無い。

日ごろ私の活動を見ている人なら納得出来るのではないかと思う。希哲館事業は,誰の肯定神託必要とせずに自分のやることに絶対確信を頂き,この上ない充実感を得て生きる人間がここにいる証拠なのだ。

私には,自分で作った「初代希哲館執務長」が,どこの国の君主首脳肩書きよりも,ノーベル賞よりも名誉に感じられる。だからこれ以上の名誉は一切不要だ。

これも病気といえばそうかもしれないが,SNS などの発達で,名誉欲承認欲求に人生を狂わされる者が無数にいることを考えると,「健全」とは何か,考えずにはいられない。


そんな私にも,人生で一つだけ,誉められて嬉しかったことがある。

恐らく4歳5歳頃だ。保育園で,はさみを使って工作のようなことをしていた。何か工夫をして,上手いこと出来たな,と思った時,保母さんが「ひろくんはアイデアマンだね」と言った。この時のことがなぜかずっと,鮮明記憶としてある。そして定期的に思い出す

当時の私に「アイデアマン」という言葉の意味が分かったとも思えないが,自分は何か工夫をすることが得意なんだな,ということくらいは体験として分かっただろう。もしかしたら,言葉が分からなかったから印象的だったのかもしれない。これもカセット効果という奴だろうか。

その後,私は,トーマス・エジソン憧れたり,信長でも家康でもなく秀吉好き少年に育っていく。子供ながら,発明とか発想価値を感じていたのだろう。

そして17歳の頃に輪郭法き,デルンデライト開発して今にいたる。確かに,これ以上価値あるものが今の私には想像出来ない。

頭が良いと誉められて学校の勉強を極めても,運動が出来ると誉められてスポーツの世界に行っても,容姿が良いと誉められて見た目を売りにするような世界に行っても,もちろん,喧嘩が強いと誉められてヤクザな道に入っても,今の私にはならなかっただろう。

私にとって最高の誉め言葉があるとすれば,やはり「アイデアマン」以外考えられない。この文章を書きながら,三十年来,心のどこかに引っかかっていたものがようやく腑に落ちた

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{希哲15年4月の月記}{聞き入る}{ハマる}{『アニメ浪曲紀行 清水次郎長伝』}{二代目広沢虎造}{希哲15年4月18日}{落ち着かない}{じっくり}{嬉しい発見}{『希哲日記』}...=}(31)

{希哲15年4月18日の日記 K#F85E/A-E74C-DBAA}

今日は半休にするつもりで,まではのんびり散歩をしたり,子供達を迎える準備をしたりしながら過ごしていた。もう少ししたら作業を始めようという頃,何気なく観た『アニメ浪曲紀行 清水次郎長伝』広沢虎造浪曲ハマり,聞き入っているうちに深夜になってしまった。

落ち着かない時期なので休日にしたくても半休にしかならないだろうと思っていたが,結果的に良い休日になった。

浪曲初めてじっくり聞いた。落語のような面白さもあり,音楽としての良さもあり,昭和以前の文化勉強にもなりと,嬉しい発見だった。

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{同じことの繰り返し}{20人}{早く寝る}{希哲15年3月10日}{新しい発見}{母方の祖父母}{『希哲日記』}{考え事}{一週間}{夕方}...=}(32)

{希哲15年3月10日の日記 K#F85E/A-E74C-3322}

今日は早めに起きることが出来,頭も冴えた。午前中から爆発的考え事が捗り,夕方頃には少しぐったりした。

毎日新しい発見があり,見えなかったものが見えるようになり,出来なかったことが出来るようになる。一週間前にどう生きていたのかも不思議で,三ヶ月前なら大昔のように感じられる。

それは楽しいことには違いないが,時々,現生人類心身適応出来る生活なのだろうかと考えてしまう。毎日同じことの繰り返しが出来て贅沢さえ言わなければ人間生きていけるものなのだから。

進捗は十分だったので早く寝ることにした。


親戚にまた子供が生まれた。

母方の祖父母曾孫だけでも20人を越えそうな勢いだ。

もう一組ののような存在だった祖父母のことを思うと嬉しいものがある。

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{恵まれた人間}{よく可愛がられる}{よく踊る}{よく笑う}{ぼーっと}{希哲15年2月16日}{振り返り日記}{複雑な気分}{『希哲日記』}{デライト}...=}(21)

{希哲15年2月16日の日記 K#F85E/A-E74C-0F9E}

よく笑いよく踊り家族はもちろんのこと親戚にもよく可愛がられ幸せ子供だなと思う。

この期に及んで,そんな姪をぼーっと見ていられる自分も恵まれた人間だと思うが,最近,これでいいのかという気もする。

これからしっかりデライト金を稼ごうというには,やはり反餓精神に欠けている。この満たされ過ぎた大冒険成功があるのか,というか,あっていいのか,という複雑な気分だ。

17日振り返り日記

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{子供}
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