{一足先}{希哲15年8月25日の体調}{希哲館事業14年の結晶}{希哲15年8月25日}{希哲15年9月10日}{新生デライト}{持ち越す}{希哲15年10月}{雑務処理}{希哲15年8月}...=}(33)

{希哲15年8月25日の日記 K#F85E/A-E74C-FACB}

夕方頃まで,が半分眠っているような,少し妙な体調だった。睡眠不足というほどのことはないはずだが,多少睡眠不安定だったことくらいしか心当たりがない。

しかし,今月雑務処理大方終えた。これでまた当分デライト開発集中出来る。

末日までにある程度の手応えを,来月10日までには確信を得て,9月中のデライト収益目標達成を果せれば理想的な展開だ。10月持ち越したとしても大成功と言えるだろう。この状況一足先認識した一服していたのかもしれない。

いずれにせよ,新生デライト希哲館事業14年の結晶にしようと思った。

26日振り返り日記

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{日本はどう逆転するか}{使い所}{2〜3日}{生活律動の乱れ}{書いて良かった}{溜まっていた}{吐き出したい}{新しい月}{すこぶる良い}{首尾の良さ}...=}(62)

{希哲15年7月1日の日記 K#F85E/A-E74C-9060}

昨日,2日分作業はしてしまったため,半休にし,事務的な問題片付けたり,振り返り軽い作業をしながら過ごした。


6月の一日一文11編。よくんでしまった気がしていたが,内容の濃さを考えると,3日1編以上書けていたことにむしろ驚きがあった。計ったわけではないが,凡人思想について書いた「超人を越えた凡人への旅」に始まり,ジパング計画について書いた「日本はどう逆転するか」で終わるという,首尾の良さ不思議なくらいだ。

日本はどう逆転するか」を書き上げるために短時間睡眠となったが,気分すこぶる良く,晴れ晴れとした気持ち新しい月を迎えることが出来た。よほど吐き出したいことが溜まっていたのだろう。

昨日終盤疲労もあり,いよいよデライト収益目標達成大詰めという時にこんなことをしていいのだろうか,という気持ち皆無ではなかったが,終わってみれば書いて良かった


昨日久しぶりに深夜まで作業をしたが,ふと,本来であれば追い込みの時期に9時頃に寝て5時頃に起きるような生活をしていてもいいものか,とも思った。

デライトの早期成功確信したはいいものの,その後,なまじ余裕があるせいで手を広げ過ぎてしまっている感もあるので,もう少し目先の利益焦点を合わせるべきかもしれない。

生活律動の乱れついでに,この際また最長2週間短期集中生活に入るかどうかまで迷ったが,これはまだ止めておくことにした。

現状,生活律動を保ちながら持続可能な範囲で限界に近い進捗は出せているので,これ以上出すとなると持って2〜3日だろう。使い所見極める必要がある。

3日振り返り日記

{新生デライト}{一日一文}{新しい可能性}{希哲15年9月}{努力のしよう}{人間の限界}{最善の道}{詰め込んだ}{長めの散歩}{知の行進}...=}(59)

{希哲15年6月22日の日記 K#F85E/A-E74C-4FA5}

少し生活律動が乱れかけているため,抑制的に過ごし,長めの散歩をしながら5月からこれまでを振り返り,今後の組計スケジュールについて頭の中整理した。

しかし,散歩から帰ると良い思いつきがあり,まとめていたらまた就床時間に遅れてしまった。ここ数日こんなことが多い。


デライト収益目標に関しては,月内の達成期待せず,7月中旬目安とすることにした。

4月の終わりにデライトの早期成功確信してから,安心感解放感からやりたいことをとにかく詰め込んだ2ヶ月だった。

なぜか5月に入ってから生活習慣改善急速に進み,デライト高速化を中心にするはずがほとんどデラング整備一辺倒だった。結果として,自分でも驚くほどデラングでは色々なことが出来るようになった。新生デライト視野に入った。今のところ,これが最善の道だったのだろうという確信はある。

一方で,当然ながら組計にはかなり無理が出てきた。今頃デライト収益目標達成を果しているはずだったが,これはかなり難しいだろう。4日の時点で7月中旬までの組計調整は出来ていたが,まだ見込み修正するには早いと思っていた。

これだけ予定外作業を詰め込んで今の今まで希望が持てていたのは,第三次黄金状態の回復によるところが大きい。

いずれにせよ,今は人間の限界と言えるところまで力を引き出しているので,これ以上努力のしようもあまり無い。今のところ9月一杯まではこの調子で行けそうなので,ただ“行進”を続けられる限り続けることを考えたい。


一日一文もかなり長くなっているが,これはこれで新しい可能性を感じている。

まだ時期尚早という考えで,希哲館事業構想についてまとまった文章を書かなかった時期が長いので,新境地には違いない。

ただ,目先のことを考えると,当たる外れるかの「賭け」ではあるとも感じている。

23日振り返り日記

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{第三次黄金状態の回復}{定休日}{第三次黄金状態}{理想的な一日}{黄金休日}{休ませる}{休日の過ごし方}{理想的な休日}{迷っていた}{自分自身についての研究}...=}(60)

{希哲15年6月13日の日記 K#F85E/A-E74C-C1D6}

第三次黄金状態の回復後,初めての休日だった。

週休1日有効性先月確認していたが,第三次黄金状態でも必要なことかまだ確信がなく,デライト開発では出振るい直後でやりたいこともあり,休日にすべきかまで迷っていた

特に疲労感は無かったものの,第三次黄金状態の回復後,進捗は連日20歩前後という異常な高水準推移しており疲労が無いとは考えにくく,前日胃腸の調子にやや不安定化が見られたこともあり,結局休日とすることにした。

一日,気まま描出をしたり,散策したり過ごした。良い気分転換も出来,有意義でもある理想的な休日だったが,一日一文熱中して少し就床時間が遅くなってしまった。


休日の過ごし方などについても少し考えた

週のうちいつを休日とするかは,これまでその時の状況で決めていたが,生活律動のためにも定休日を決めておくことにした。この日たまたま日曜日だったため,まずは日曜日を定休日として様子を見る。

生活律動執務以外の日課は基本的に維持する。

休日にやるべきではないことを決め過ぎても利楽しにくいが,意識的心身休ませる必要もあるので,とりあえず,ある程度緊張感を保つための手段である進捗時限記録を付けないことだけは決めた。

輪郭整備などは庭いじりのようなもので,仕事でもあるが娯楽でもあるので休日の過ごし方として一番無難かもしれない。

黄金休日」という言葉を思いついたのがきっかけで,「黄金日」という言葉を思い出した。第一次黄金状態発現した日としてよく使っていたが,いつからかあまり使わなくなっていた。

黄金生活とは黄金日を重ねていくことなので,もう少し広く,「理想的な一日」の意味でこれからまた使っていくことにした。

14日振り返り日記

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{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{SNS 嫌い}{社交辞令}{社会的行為}{腑に落ちた}{最高の誉め言葉}{容姿が良い}{喧嘩が強い}{学校の勉強}...=}(113)

{誉められて嬉しかったこと K#F85E/A-E74C-5C5B}

私には,誉められ嬉しいと思った記憶がほとんど無い。誉められるのは,どちらかといえば苦手なくらいだ。先日の一日一文では私の独特な金銭欲について書いたが,これは私の独特な名誉欲かもしれない。

なぜ誉められても嬉しくないのかと考えてみると,そもそも幼い頃に自尊心完成されてしまっていた気がする。自尊心に欠けているところが無いので,いわゆる承認欲求的な感情も無い。

誉め言葉をもらっても,すでに満杯に余計なものを注がれているような感覚で,こぼれたのを拭くのが面倒になる。それが社会的行為である以上,例えば,謙遜して見せなければならないとか,こちらも社交辞令で返さなければならないとか,新しく得たものも無いのに“対応”を求められるわけだ。

私の SNS 嫌いもこんなところから来ている気がする。好意的反応をもらうことはもちろん「ありがたい」と思うし,仕事であれば必要なことでもあるが,個人的心情としては嬉しさより面倒臭さを感じてしまうことが多い。

誉められて嬉しくないのだから,貶され悲しいこともない。むしろ,他人が顔をしかめるようなことをしていた方が,自由を感じることが出来て面白いとすら思っていた。

子供の頃からこんな性格だが,大人になってからも,名誉ある地位に就きたいとか,ナントカが欲しいとか,テレビネット有名になりたいとか,そういう感情を抱いたことが無い。

日ごろ私の活動を見ている人なら納得出来るのではないかと思う。希哲館事業は,誰の肯定神託必要とせずに自分のやることに絶対確信を頂き,この上ない充実感を得て生きる人間がここにいる証拠なのだ。

私には,自分で作った「初代希哲館執務長」が,どこの国の君主首脳肩書きよりも,ノーベル賞よりも名誉に感じられる。だからこれ以上の名誉は一切不要だ。

これも病気といえばそうかもしれないが,SNS などの発達で,名誉欲承認欲求に人生を狂わされる者が無数にいることを考えると,「健全」とは何か,考えずにはいられない。


そんな私にも,人生で一つだけ,誉められて嬉しかったことがある。

恐らく4歳5歳頃だ。保育園で,はさみを使って工作のようなことをしていた。何か工夫をして,上手いこと出来たな,と思った時,保母さんが「ひろくんはアイデアマンだね」と言った。この時のことがなぜかずっと,鮮明記憶としてある。そして定期的に思い出す

当時の私に「アイデアマン」という言葉の意味が分かったとも思えないが,自分は何か工夫をすることが得意なんだな,ということくらいは体験として分かっただろう。もしかしたら,言葉が分からなかったから印象的だったのかもしれない。これもカセット効果という奴だろうか。

その後,私は,トーマス・エジソン憧れたり,信長でも家康でもなく秀吉好き少年に育っていく。子供ながら,発明とか発想価値を感じていたのだろう。

そして17歳の頃に輪郭法き,デルンデライト開発して今にいたる。確かに,これ以上価値あるものが今の私には想像出来ない。

頭が良いと誉められて学校の勉強を極めても,運動が出来ると誉められてスポーツの世界に行っても,容姿が良いと誉められて見た目を売りにするような世界に行っても,もちろん,喧嘩が強いと誉められてヤクザな道に入っても,今の私にはならなかっただろう。

私にとって最高の誉め言葉があるとすれば,やはり「アイデアマン」以外考えられない。この文章を書きながら,三十年来,心のどこかに引っかかっていたものがようやく腑に落ちた

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{あれ}{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{番狂わせ}{雨後の筍}{日本語におけるルビの重要性について}{デライトの対 Notion 戦略}{新興サービス}{メモ戦国時代}{Notion}...=}(60)

{デライト開発者が見る個人知識管理サービス市場 K#F85E/A-E74C-BA75}

先日の一日一文デライトの対 Notion 戦略」で書いた通り,現在,デライトも含めた全ての個人知識管理(PKM)サービス市場戦略において意識せざるをえないのは Notion だろう。

一方で,Notion の立場盤石ではない,という意味のことも書いた。私が「個人知識管理サービス」と呼んでいる分野では,新興サービス雨後の筍のように登場している。私も全ては把握しきれていない。それだけ問題意識が尽きない分野であるということなのだろう。

今や個人知識管理サービス市場は「戦国時代」だ。盛者必衰Evernote であれ Notion であれ,安心していられる者はいない。


そして私は,この個人知識管理サービスこそ,検索演心エンジンSNS に続くインターネットの一大産業になると確信している。知識産業の中で果す役割を考えれば“当然”の帰結だ。

つまり,この「戦国時代」を制した企業がいわゆる GAFAM のように成長していくことになる。

問題は,ただでさえ知識産業で遅れを取っている日本で,十分戦えそうなサービスただの一つも存在していない,ということだ。私はこれに強い危機感を覚えている。この種のサービスが知識産業化を加速させていくものなら,ここで遅れを取った日本は,半永久的に取り返せない差を付けられることになる。

日本語におけるルビの重要性について」でも書いたように,デライト日本語重視し,日本語を最大限活用出来るように工夫を重ねている。一方,いま流行りNotion日本語対応ですら「予定」の状態だ。これが何を意味するのかは,読者想像力信頼していちいち言うまい。

幸い,今は「戦国時代」だ。どんなに小さな勢力にでも番狂わせ機会はある。そして,これこそが,知識産業で日本大逆転しうる最後の機会だ。

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{第一次デライト市場戦略}{一日一文}{希哲15年4月の月記}{重要な発見}{心の散歩}{環境の変化}{不採録}{書きたい}{驚いた}{一日一文『道草録』再開とデライト近状}...=}(73)

{希哲15年4月7日の日記 K#F85E/A-E74C-F014}

小理腑を通じて,自分が思っていた以上にデライト複雑化していることに気付かされる。単純性を保ってきたつもりではあったし,実際単純なようにも見えるが,この保守性を保っていることがいかに価値あることか実感出来る。

その複雑さの分だけ,小理腑によってデライト開発が大きく加速するという確信も出来,ますますデライト貴重なものに見えてきた。


『道草録』として一日一文の再開も出来た(「一日一文『道草録』再開とデライト近状」)。『道草録』と一日一文の関係をどうするか少し迷ったが,とりあえずは,『道草録』への採録を前提に一日一文を書き,一定水準に満たないものは不採録とすることにした。

ちょうど2歩分で,非常に楽しく書くことが出来た。この楽しさ新鮮感覚だったことに,自分で少し驚いた

振り返ってみると,過去の一日一文一日一章)は,あくまでも執務としての義務感の方が大きかった。一日八章なんて言っていた頃は,ほとんど「試練」として捉えていた。書き上げた時の達成感の大きさはよく覚えているが,それは書く苦労と引き換えだった。それは続かないわけだ。

今回も,デライトのため,希哲館事業のため,という理屈が無くはなかったが,どちらかというと後付けだった。むしろ,月内にデライト収益目標達成だと言っているのに,そんなことしている場合か,という思いもあった。第三次宣伝攻勢寄与するかもしれないが,単なる負担になるだけかもしれない。そんな懸念書きたい気持ち振り切った。

環境の変化も大きいだろう。今のデライトは,過去のどの時期デルン実装よりも洗練されている。数年前までの希哲館事業第一次市場戦略までのデライトには伏せたいことが多く,文章を書くにもいちいち神経を使っていた。全て開けっ広げに書けるようになったのはつい最近のことだ。ずいぶん開放的で,書きやすい環境になったものだ。

半信半疑でいざ書いてみると,一気に持ち辺が高まり,間違いなくデライト開発寄与するという確信に変わった。結局,継続近道楽しむことだ。もっと書くことを楽しめるようなデライトにしたい,という意欲も湧いてくる。これは嬉しい発見でもあり,重要な発見にもなりそうだ。

『道草録』希求主義文学実践にしようと少し気負っていたが,もっと気楽に,「心の散歩」みたいなものだと思うことにした。これを一つの趣味にしていきたい。

8日振り返り日記

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{新生デライト}{一日一文}{希哲15年4月の月記}{発信媒体}{デライト収益目標}{デライト一日一文}{一日一文の再開}{希哲15年4月下旬}{黄金週間}{年度始め}...=}(65)

{希哲15年4月1日の日記 K#F85E/A-E74C-646E}

寝不足も続き,いつ疲労感に襲われてもおかしくない状況だが,絶好調だった。

先月20日頃まで,この日にはデライト収益目標を達成し,デライトの春希哲館の春にしたいなどと思っていた。収益目標未達だったが,ここ一週間,美しい桜並木を見ながら,思い描いた通りのの訪れを感じていた。代わりに得たものがそれだけ大きかったということだろう。

今を仮に「希哲館累新期」と呼び始めた1月にそれほどの確信は無かったが,希哲館本館構想具体化を経て,今まさに「希哲館累新」が起きていることを確信した。竜力竜虎計画など初期の構想についても久しぶりに思い出していた。

希哲館事業構想は,輪郭法閃きから生まれたものだ。その輪郭法をに変えるデライトによって希哲館事業可能性が広がるのは必然なのだろう。

10日までに新生デライトをある程度の形にし,20日までに諸調整仕上げを終え,年度始めから黄金週間に向けて世間が少し落ち着く下旬第三次宣伝攻勢を仕掛けたい。

第三次宣伝攻勢も,先月デライト開発快調を受けて変容した。短期間集中して,印迫最大化することを考えるようになっている。これは一夜革命そのものだ。「デライト一夜革命」を第三次宣伝攻勢の定問とすることにした。一夜城たるデライトの品質自信が持てなければ考えられないことだった。


デライト一日一文」として一日一文の再開も考え始めた。

一日一文デライト正式離立から間もなく完全に途絶えていた。単純に忙しかったということもあるが,発信媒体としてのデライトがあらゆる意味で不安定貧弱だったということも大きい。今のデライトなら効果的発信出来るだろう。

短期集中生活中に無理をしてやることでもないので,余裕の出来た時期に始めたい。

2日振り返り日記

{確信}
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