昨晩は久しぶりに寝付けなかった。達成感と解放感と疲労感と,色々な感情が混じり合い,とりとめのない考え事が始まってしまった。
ここ数日入眠時間が遅くなっていたため,あえて早起きして臨時休業にし,心身を休めつつ睡眠調整をすることにした。
時事ネタとしてはすでに古いが,先月,品川駅に「今日の仕事は,楽しみですか。」と書かれた広告が掲出され,ちょっとした騒動になった。当の通勤客の反感を買ったのかは分からないが,少なくともネット上では切り取られ方もあって「炎上」していた。
この広告そのものについては,よく読めばもっともらしいことも書いてあるし,仕掛け人の真意は別にあるのだろうと思うので,特に意見したいことがあるわけではない。私自身はサラリーマン生活をしたこともない人間なので,一般的な労働者の気持ちを代弁するつもりもない。
ただ,昔から「楽しい仕事」とか「好きな仕事」みたいなことを聞くと,楽しさしかない仕事なんて全然楽しくなさそうだし,好きだと思える仕事なんて好きになれそうにないな,と思う。
例えば,漫画や遊画がなぜ面白いのかといえば,そこに冒険があるからだ。主人公達は,否応なく運命に導かれ旅立ち,苦しみを乗り越えて勝利するからかっこいいし達成感がある。特に男性は大なり小なりそういう文化の中で育ち,仕事観や人生観を形成していく。
私は極端な例だが,やはり,自分の人生は壮大な冒険物語であってほしいと子供の頃から思っていた。どんな困難が待ち受けていてもいいし,死んでもいい。何より,そこに運命的な「意味」があってほしかった。そして希哲館事業を始め,その物語の主人公のような気分で毎日が楽しくてしょうがない。これに「楽しい仕事」とか「好きな仕事」のような安っぽいレッテルを貼られたら興醒めもいいところだ。
生涯を捧げる価値を見出せる仕事がずっと欲しかった私には,最近よく聞く FIRE の魅力もよく分からない。
「楽しい仕事」や「好きな仕事」で生きていくというのは,悪く言ってしまえば,子供の遊びみたいなことしか出来ない人生を送るという風にも聞こえる。それに対する反感には,嫉妬だけでなく軽蔑にも似た嫌悪感が少なからず含まれているような気がする。
苦しみがあるからそれを乗り越えた歓びがあり,やりがいがある。好きではなくてもやらなくてはならないことだからその価値を信じられる。「楽しい仕事」や「好きな仕事」なんて,どう考えてもすぐ物足りなくなる。そう思うと,実在性すら怪しい,空想の産物なのかもしれない。
こんなことをだらだら書いている時,2年ほど前に書いたこんなツイストを見つけた。結局,これに尽きるなと思った。
小理腑を通じて,自分が思っていた以上にデライトが複雑化していることに気付かされる。単純性を保ってきたつもりではあったし,実際単純なようにも見えるが,この保守性を保っていることがいかに価値あることか実感出来る。
その複雑さの分だけ,小理腑によってデライト開発が大きく加速するという確信も出来,ますますデライトが貴重なものに見えてきた。
『道草録』として一日一文の再開も出来た(「一日一文『道草録』再開とデライト近状」)。『道草録』と一日一文の関係をどうするか少し迷ったが,とりあえずは,『道草録』への採録を前提に一日一文を書き,一定水準に満たないものは不採録とすることにした。
ちょうど2歩分で,非常に楽しく書くことが出来た。この楽しさが新鮮な感覚だったことに,自分で少し驚いた。
振り返ってみると,過去の一日一文(一日一章)は,あくまでも執務としての義務感の方が大きかった。一日八章なんて言っていた頃は,ほとんど「試練」として捉えていた。書き上げた時の達成感の大きさはよく覚えているが,それは書く苦労と引き換えだった。それは続かないわけだ。
今回も,デライトのため,希哲館事業のため,という理屈が無くはなかったが,どちらかというと後付けだった。むしろ,月内にデライト収益目標達成だと言っているのに,そんなことしている場合か,という思いもあった。第三次宣伝攻勢に寄与するかもしれないが,単なる負担になるだけかもしれない。そんな懸念を書きたい気持ちが振り切った。
環境の変化も大きいだろう。今のデライトは,過去のどの時期のデルン実装よりも洗練されている。数年前までの希哲館事業や第一次市場戦略までのデライトには伏せたいことが多く,文章を書くにもいちいち神経を使っていた。全て開けっ広げに書けるようになったのはつい最近のことだ。ずいぶん開放的で,書きやすい環境になったものだ。
半信半疑でいざ書いてみると,一気に持ち辺が高まり,間違いなくデライト開発に寄与するという確信に変わった。結局,継続の近道は楽しむことだ。もっと書くことを楽しめるようなデライトにしたい,という意欲も湧いてくる。これは嬉しい発見でもあり,重要な発見にもなりそうだ。
『道草録』も希求主義文学の実践にしようと少し気負っていたが,もっと気楽に,「心の散歩」みたいなものだと思うことにした。これを一つの趣味にしていきたい。
7日にとある仕事が一段落したと思ったら N10K 問題に関するツイストをまとめるのに想像以上の時間をかけてしまった。今日夜,ようやくまとめ終えた。その達成感もあったが,振り返った希哲館事業とデライトの歩みに対する達成感は一入だった。
休養も兼ねてのこととはいえ,時間の使い方としてどうかとは思いつつ,結局書き切った。途中で実質的に第二次総括を兼ねていることに気付いたのも大きかった。年の瀬でもあり生活や仕事の節目でもあり,頭の整理をする時期としては丁度良かったのだろう。
この間,思いのほか精神的な負荷が高く,他のことがほとんど出来なかった。これは第二次総括なのかと思ったのも,この感覚が第一次総括と似ていたからだった。明日から生活律動など諸々調整していくが,流石に今日は早く寝ることにした。