{希哲15年7月の一日一文}{一日一文}{隠している}{黙っている}{社会のあり方}{SNS の中立性}{独立国家}{平和的}{独立表明}{反知性}...=}(123)

{私の政治思想 K#F85E/A-E74C-6D9C}

先日の一日一文日本はどう逆転するか」では,あまりにも長くなり過ぎたため最後の見出しを削った。なかなか理解しにくいであろう私自身の政治思想についての余談だ。

大きな個人主義

面白いことに,私は昔から「極右」の類ではないかと誤解されることが,どちらかというと多い。これは先の文章のように,日本極大国ハイパーパワーにしようなどとずっと言ってきたからだろう。

しかし,そんなことを一人で勝手に語っているのだから,私自身は個人主義者以外の何者でもない。私がイメージする国家というのは,昔のヒップホッパーが肩に担いでいた巨大ラジカセみたいなものだ。国家従属したり逃避したりする「小さな個人主義」ではなく,国家を担いで鼻歌交じり世界を歩いてしまうような個人主義を「大きな個人主義」と私は呼ぶ。

私が日本という国家重視しているのは,それが世界を変える有効な手段だと感じているからだ。

日本知識産業革命を起こし,日本が極大国になれば,かつてのイギリスがそうであったように,世界中の国々にその技術文化を伝えることが出来る。実際,平成バブル期までの日本は,世界の経営学大きな影響を与え,「日本に学べ」という風潮を作った。

成功」さえすれば,世界の注目を集めることが出来,世界変革主導することが出来る。希哲館事業におけるジパング計画は,その最初の段階というわけだ。

希哲館目的は,まず「希哲日本」という成功模体モデルを創り上げ,その後は国際連合に代わる国際機関として「希哲」の理念に基く新国際秩序形成することにある。知性反知性分断乗り越え万人による繁栄平和共有出来る世界だ。

私は一人で「希哲紀元」という独自の紀年法を使っているが,これはキリスト教西暦でもなく,天皇元号でもないという,端的な独立表明でもある。中立性のために必要であれば,平和的合法的バチカン市国のような小さな独立国家を持つ計画まで準備している。

宇田川主義

ここまで視野を拡げれば,私の政治思想左翼だの右翼だの,リベラルだの保守だのといった既成概念の域をはるかに越えたものであることが分かるだろう。

私の政治思想は,「宇田川主義」としか言いようがないほど独自的で,それゆえに常に孤立しており,結果的に誰よりも中立を保っている。ノンポリというわけでもなく,波風を立てないために黙っているわけでもなく,日和見でもない,言動は明らかでありながら,あまりにも独特であるがゆえに中立なのだ。

この類稀中立性は,デライトのようなサービス運営するにあたっても重要だと感じている。

先の米大統領選挙を巡っても SNS の中立性疑問が呈されたが,ほぼ全てのサービス提供事業者は,こうした点において明確解決策を持っていない。政治について語らない,だけで中立を装える時代はとっくに終わったというのに。

特にデライトのような高機能メモサービスは「」を扱うものだ。そのサービスの開発者運営者が,政治,つまり社会のあり方について何の見解も持っていないということがあっていいだろうか?持っていて黙っている隠しているのは信頼に足る態度だろうか?

この行き詰まり明解解答を出せる世界で唯一サービス,それがデライトだ。ばりばりに語っているのに,ここまで“中立”な政治思想は世界を見渡してもまずない。私が政治を語ることを全く恐れない理由だ。ある種の「オープンソース」とも言えるかもしれない。

また長くなり過ぎないようにほどほどにして,この宇田川主義の全体像成り立ちについては,また後日書いてみたいと思う。

{希哲15年4月の月記}{聞き入る}{ハマる}{『アニメ浪曲紀行 清水次郎長伝』}{二代目広沢虎造}{希哲15年4月18日}{落ち着かない}{じっくり}{嬉しい発見}{『希哲日記』}...=}(31)

{希哲15年4月18日の日記 K#F85E/A-E74C-DBAA}

今日は半休にするつもりで,まではのんびり散歩をしたり,子供達を迎える準備をしたりしながら過ごしていた。もう少ししたら作業を始めようという頃,何気なく観た『アニメ浪曲紀行 清水次郎長伝』広沢虎造浪曲ハマり,聞き入っているうちに深夜になってしまった。

落ち着かない時期なので休日にしたくても半休にしかならないだろうと思っていたが,結果的に良い休日になった。

浪曲初めてじっくり聞いた。落語のような面白さもあり,音楽としての良さもあり,昭和以前の文化勉強にもなりと,嬉しい発見だった。

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{一日一文}{『阿部寛のホームページ』}{最悪の事態}{実装可能}{遅かった}{9年}{デライト高速化}{デライト高速化前の現状整理}{実装難度}{デライト史}...=}(95)

{デライトはなぜ速いのか K#F85E/A-E74C-1187}

いまデライトでは,「高速化」の作業最優先取り組んでいる。その理由デライトの現状については,昨日,「デライト高速化前の現状整理」にまとめた。そちらは個人的覚え書きだが,興味があれば覗いてみて欲しい。

今日は,デライトの「速さ」の歴史について簡単に振り返ってみたい。


「デライトはなぜ速いのか」というに,デライト用者ユーザーは少し違和感を覚えるかもしれない。個人知識管理(PKM)サービスとしてのデライトは,速いと言えるほど速くはない。せいぜい「」だ。ただ,並の速さで動いているのが奇跡的に「速い」と言えるほど,実装難度が高いのだ。普通に実装すれば,遅過ぎてまず実用にならないだろう。

サービスとしてのデライトは,「デルン」という全く独自CMS で動いている。Wikipedia に対してウィキがあるようなものだと思ってもらえばいい。このデルンの実用化成功したのは,希哲6(2012)年,もう9年ほど前のことだ。

実は,最初にデルンが動いた時,使っていた論組プログラミング言語PHP だった。そして,あまりにも遅かった。ある程度のが出来たあと,すぐに C++書き直した。

これが出来たのは,当然,準備していたからだ。元々,デルン開発にあたっては速度重視していた。それは体感出来る速さのためというより,「遅さで使いものにならない」事態を避けるためだった。ほとんど前例が無く,全てが未知数手探りという状況だったので,そもそもデルンのようなものが現実的に実装可能なのかどうかすら分からなかった。作ってみたがまともに動かない……これを最悪の事態想定していた。

そうなると,利用する技術は少しでも速い方が良かった。手探りの開発過程でいわゆる技術的負債蓄積していくことも想定していたため,それを補ってくれるだけの速さが必要だった。言語で言えば,今なら Rust あたりも選択肢に入ったかもしれないが,デルンを構想し始めた当時は C++ くらいしか無かった。

一方で,当時の私はウェブ開発経験に乏しく,デルンに何が必要なのか把握出来ていなかった。そこで,PHP を使って試作品プロトタイプを作ってみることにしたわけだ。

案の定,PHP で出来たデルンは実用的速度で動かず,すぐに準備していた C++ に切り替えた。この移行作業円滑に進み,やがて という独自言語に変貌していく。

今のデライトは,この Cμ に FastCGIマルチスレッドnginx 等々と徹底的に速度を重視した構成で動いている。PostgreSQL出場(DB)側も Cμ で外充て(ストアド)函数にしている。徹底して単純化された設計も手伝い,ほぼ極限まで高速化出来る可能性がある。

これまでのデライトにとって,「速さ」は遅さを補うためのものだった。そして今,この速さを武器にするために高速化作業を進めている。どうせやるなら,有名dev.to『阿部寛のホームページ』のように,速さを楽しんでもらえるくらいにしたいと思っている。是非楽しみにしていてほしい。

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{一日一文}{睡眠}{希哲15年4月の月記}{涙ぐむ}{途方もない}{呼吸を整える}{小休養}{ぶっきら棒}{希哲15年4月6日}{思い付いた}...=}(68)

{希哲15年4月6日の日記 K#F85E/A-E74C-8087}

少し気持ち落ち着いてきたため,利楽しながら作業を進めた。それでも程度の進捗ぶりではあった。

短期集中生活とはいえ小休養必要は感じながらも,連日興奮気味でまともに睡眠も取れないということが続いていた。ここで少し呼吸を整えたい。


一日一文準備も進めた。

一日一文の歴史を遡っていて,久しぶりにブログ『道草録』思い出した希哲館事業最初期から WordPress運営していたブログで,ある面でデルン前身と言えなくもない。この「道草」という言葉は,希哲館事業途方もない大きさを前に全てが手探りだった当時心境をよく表している。色々な想い出が蘇えり,少し涙ぐんでしまった。

題名も気に入っていたので,希哲8年頃に私の随筆集として『道草録』再始動させようと考えたこともあったが,何となく立ち消えになっていた。一日一章を始めて間もない頃だったので,いずれ関連させようとは思っていたのだろう。

ここで,一日一文『道草録』素材にすることを思い付いた。これも一つの希哲館累新だ。

考えてみれば,月庭・デライト転送の開始以後,kitetu.com から窓口になるような献典が無くなっていた。ほぼ毎日書いている文章といえば『希哲日記』だが,これは当時の心境事実記録することに主眼を置いたもので,人に読ませることを意識したものではない。『希哲日記』に書き切れないことを書いておく所としても『道草録』という題名好ましい

読み手意識した文章として,メリハリを付けるためにも一日一文には敬体を使おうかと思ったが,気を使い過ぎて書きにくくなってしまう恐れがある。多少ぶっきら棒なくらいが良さそうなので,まずは常体で書き始めることにした。

続けるのが難しかった最大の理由は,書き始めるとついつい凝り過ぎてしまうということにあった。1時間以内で書こうと思っていても,結局数時間かけてしまうことが多かった。それが普通になると書き始めるのにも気力が必要になってしまう。

{希哲13年}{希哲15年4月の月記}{垢を落とす}{デライト小理腑}{希哲15年4月3日}{デライト一日一文}{意味管理}{KitHub}{『希哲日記』}{考え事}...=}(20)

{希哲15年4月3日の日記 K#F85E/A-E74C-BC50}

開発では,そろそろ必要だろうと考えていた「デライト小理腑」に入った。希哲13年大理腑ほどの時間は取れないが,ここ数日で出来るだけ垢を落としておきたい。

デライト一日一文準備も始めた。その過程で色々な考え事もした。

特に,虎哲開発版存管理関係デルンによる意味管理有用性等についてよく考えた。すでにデライトが「KitHub」みたいなものなのかもしれない。

{輪符}{希哲15年2月14日の開発}{編集可能要素}{子窓}{window.open()}{知番付けボタン}{希哲15年2月14日の進捗時限}{希哲15年2月14日の進捗}{希哲15年2月14日}{希哲14年7月24日4歩}...=}(54)

{希哲15年2月14日6歩 K#F85E/A-E74C-7037}

知番付け検索再検討

いったん終了。

昨年7月24日4歩検討した全知検索窓知番付け機能を付けてしまう案は,いま考えると実装としても用合いとしてもまどろっこしい

知番の前に = 型の輪結を置くというのは領当てとして悪くないので,「知番付けボタン」に置き換えて採用する。

ただし,その機能キャレット位置にある輪符知番置換するか無ければ付加する,というところまで単純化することにした。

無番輪符キャレットがある時に window.open()子窓を開く輪結を表示し,子窓で輪郭を選択して復帰すると知番挿入されるという実装を考えたが,いまどきあまり洗練された手法とは言えない。

せっかく編集欄画面遷移先に持ち越せるようにするので,これを活用したい。

無番輪符キャレットがある時には知番付けボタンを表示する模動くぐり検索に入れる輪結を表示し,移動すると編集欄の状態が維持されたまま輪郭を探すことが出来る,という仕様が今のところ最も合理的か。

これに伴い,描写選り手contentEditable を導入する準備もしておく。textarea補完的な機能を導入しようとするとキャレット座標特定にすらややこしい小細工をする必要があるので,いっそのこと編集可能要素にしてしまった方がすっきりするだろう。

=}
{準備}
{}