{デラング}{『希哲日記』}{希哲11年}{金風}{日記}{振り返り日記}{用者}{デライト開発}{手定め}{遠ざかる}(93)

{希哲15年10月27日の日記 K#F85E/E74C-57D7}

昨日開発環境整備一環として消極的に考えていた SLFS 開発の再開だが,献典整備としての可能性もあることに気付き,新生デライト開発とともに再開することを決めた

当然ながら無駄に新生デライト開発圧迫するわけにはいかないので,相乗効果生み出すようにやっていきたい

SLFS希哲11年実用化してから,あえて深追いすることを避けてきた。ほとんどは実用上の問題が生じた時に設定パッケージ引装などを行うくらいで,それも SLFS 開発というよりは用者として使っているという感覚であり,事実上開発停止状態に近かった。

直接収益化結び付けるのは極めて困難予想されたため,パッケージ下信ダウンロード引装インストール手定めにかかる時間最小化するための極力良いネット環境高性能開発機,そして十分な時間用意する必要があると考えていた

SLFS希哲社にとっても大きな財産だったが,自分で使っているだけということに「死蔵」というべきもったいなさ常々感じていた時間の経過とともに忘れていること増え保守性落ちていた。これを改めて実感したのが昨日の核脳カーネル周りの調査だった。

SLFS 開発から遠ざかるようになっておよそ一年後デライト開発に入り,デラングも含めて描出環境描出手法飛躍的な発展遂げ今にいたる。希哲11年に比べ,技術記録もはるかに描き出しやすくなっている金風によって多少の時間的余裕も出来た。

こうした環境の変化によって,気付けば十分な時間対効果見込めるようになっている。SLFS にもようやく世に出せる時が来たということだろう。新生デライト開発の再開前に何かが引っかかっていたが,この時を待っていたのかもしれない。それなら遅らせた意義もある。


昨日に続き5時前起床は出来たが,短時間睡眠続きなので早く寝ることにした。

28日振り返り日記

{『希哲日記』}{日記}{デライトの成功}{用者}{デライト宣伝}{希哲14年11月の月記}{気持ちの整理}{苦労知らず}{気構え}{狩猟採集}(56)

{希哲14年11月13日の日記 K#F85E/E74C-0FB8}

一年後見据えるようになったことで,少しずつ意識が変わってきた。

デライト宣伝時間対効果は相変わらず高いが,やはり,デライトの成功には早過ぎるような気がしてきた。

通常,ネットでの地道宣伝には最低でも半年程度の様子見が必要で,他の個人知識管理サービス有名になるまでにはそれなりの時間をかけている。常識的に考えればまだ焦るような状況でもない。むしろ,無理焦り無駄疲弊を招くことが自殺行為になりかねない。

これまでは狩猟採集のように効率的用者誘い込むことばかり考えてきたが,今は農耕気構えで,認知種蒔きをする時期だと思えるようになってきている。

最近,自分の人生観甘さ苦労知らずぶりを痛感することが多いということも心境の変化一因かもしれない。デライトの成功までにもっと苦労しないと申し訳ないというか,もうちょっと苦労してもいいか,という気分になってしまっている。

デライト収益化に関しては,年末までの比較的短い延長戦の可能性を捨てきれず微かな迷いが残っていたが,気持ちの整理がつき,正式に来年11月1日までの期限延長を決めた。得るものの大きさ代償早さ確実性,色々天秤にかけてみると,結局これが最適解なのだろうと思う。

{『希哲日記』}{希哲館創立14周年}{希哲館創立13周年}{日記}{正午}{デライトの成功}{デライト}{記録}{睡眠時間}{2年}(74)

{希哲14年11月10日の日記 K#F85E/E74C-7B7B}

諸々整理して一息つけるようになってきたため,今日は一日じっくり、ここ数日の諸記録を埋めながら今後について考えることにした。デライト宣伝も全く出来ない日が続いてしまったため,今日から毎日1歩分でも必ず時間を割くことにした。

また,今後の正しい計画策定のため,第一次総括から2年あまりの歩みまとめ,これを「第二次総括」と呼ぶことにした。第一次総括同様,何日かかるか分からないが納得行くまで続ける。

そんなことを考えていた正午頃,叔父について悪い報せを受けた。ここ数年,妙に自分や周囲にとって都合の良いことばかり起きるので,そろそろ不幸が訪れるのではないかとかえって不安だったが,いよいよ来たか,と思った。それと同時に,デライトの成功,ひいては希哲館事業の成功を急がなければならないもう一つの理由を思い出した。

ここ最近,希哲館創立13周年を過ぎ,米大統領選挙も誰が勝ったとも言えないまま一応終わり,デライトの成功を急がなければならない理由を見失っていた。

用合い改良山場を越えたことで太く短く時間投入しなければならない作業はほぼ無くなり,細く長く継続していくことが重要段階に入ったという感覚もあった。

普通,事業収益化を急ぐのは存続に関わるからだが,デライト超高効率運用なら十年でも五十年でも,私が生きている限り存続させることは難しくない。そういう意味で,デライトの成功時間の問題には違いなかった。

それにもかかわらず,短期決戦から持久戦への移行決断することは出来なかった。何か忘れているような,引っかかりがあった。件の報せを受けたとき,それが何だったのか突き付けられたような気分だった。私が成功を急いでいたのは,大義名分のためばかりではない。その前に死んでほしくない人が多い。

今のデライトの状況なら,目標期限を短かく設定すれば早期成功可能性は高まるが,その代わり確実性は低くなる。一年後を見据えるか十年後を見据えるかで時間の使い方も変わってくる。健康上直ちに問題にならない程度に睡眠時間調整するだけでも一日あたり数時間変わるだろう。

デライトの成功が十分な確実性早さ期待出来る期限を考えた時,あと1年キリのいいところで希哲館創立14周年となる希哲15年11月1日が最も妥当な線として思い浮かんだ。

離立から2年以内なら「ダーウィンの海短期攻略作戦」という白熊作戦趣旨も辛うじて保てる。とりあえずはこれで短期決戦路線を維持することにした。

{一年後}

{}