円滑に進み,あと数歩でそれなりの実装が出来そうだが,生活律動矯正のためここで切り上げる。

{希哲16年5月26日15歩 K#F85E/E74C-B78B}

{希哲16年4月30日の日記 K#F85E/E74C-F08C}
この日も調子がやや不安定だった。というより,頭が冴える時間帯が遅い方にずれてしまっている。一昨日以来,遅い時間になって一日一文の執筆がやたら捗る,ということが続いている。
一日一文ではデライトの本質に迫る良い文章が書けていたが,24時を過ぎたところで生活律動矯正のため中断した。時間を惜しむ内容でもなくなってきたので,じっくり書くことにした。明日はちょうど定休日なので調子を整えたい。
第四次宣伝攻勢は想像していたより静かな始まりだが,デライトの成功にはむしろぐっと迫った感覚がある。一昨日,昨日,今日と,滅多に書かなかった一般向けのまとまった文章を書いてみたことで,大きな心境の変化が起こっているようだ。デライトについて深く理解してもらうための手段の一つとして書き始めたものの,自分自身がデライトを過小評価していたことに気付かされた。
これまでの,希哲館訳語などを多用した独特な文章では,全体的に浮世離れし過ぎて,デライトもどこか現実感のないものに見えてしまっていたのだろう。それが,こう平易な文章で表現してみると,デライトが実現していることのとんでもなさが,現実と地続きにあることのとんでもなさと相俟って,一回りも二回りも強烈に感じられる。
いまデライトでは,例えば世間で騒がれているイーロン・マスクの Twitter 買収どころではないことが起こっているわけだ。この,世にも奇妙な静けさが,かえってデライトの成功のイメージを増幅させている。それこそ一夜城のように。

{希哲16年3月16日の日記 K#F85E/E74C-52D6}

{希哲16年3月4日の日記 K#F85E/E74C-372F}

{希哲16年2月18日の日記 K#F85E/E74C-8242}

{希哲16年2月11日の日記 K#F85E/E74C-DD8C}
これから新生デライト開発本番だという時に金風が起きて環境が激変し,整理が追いつかないでいた時にデラング整備に頼るようになり,間もなくデラング的転回にいたる……金風が起きなかったら今頃どうなっていたのか,などと考えていた。
いずれにせよ別の道筋でデラング的転回にもデライト収益乗軌化にも到達していたのかもしれないが,なんだか不思議な気分だ。いま最善の道を走っているという実感があるのが嬉しいだけに,当時の自分が迷い子だったように思えてくる。当時は当時で,少し前の自分に対して同じことを感じていただろうから,未来の自分から見れば今の自分も迷い子なのだろうか。
昨日夜更かししてしまったが,それを逆手に取って早起きして,21時前には寝支度を始められた。これで一気に生活律動矯正が進むか。
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}{dlng.kitetu.com
}{デライト市場戦略}...
{希哲16年2月10日の日記 K#F85E/E74C-FE31}
10年前のこの日,デルンに最初の描出をした。それがデルンの始まりとするなら,今日でデルン10周年だ。
大小様々な追い風を受け絶好調な今のデライトも,この第一歩が無ければ存在しなかった。そう思うと,色々な感情が溢れてくる。
最近,あらゆる面でデラングがデライト開発の主役になっていると感じていたが,それが何故なのか,実は理解が追いついていなかった。直感に導かれるままここまで来た。この節目にデルンの歴史,輪郭法の歴史を振り返ったことで,ようやくはっきり理解出来た。
輪郭法の原点は,「意味を書きたい」という欲求だった。“意味記述のための意味管理”を可能にするために輪郭法は生まれた。その閃きが,希哲館事業のビッグバンだった。
だから,意味記述の技術であるデラングが重要なのは当然だ。それを忘れていたわけではないが,どこかでデラングの重要性を過小評価していた。輪符による意味符号化が出来た時点で,あとは「おまけ」という感覚があった。気付いてみれば,これがとんでもない誤解だった。
輪符による意味符号化が出来たところで,それだけでは活用範囲は広がらない。デラングの表現力を高めるということは,意味を書ける領域を広げるということに他ならない。私にとって,何より本質的な仕事だ。今の今まで,これが理解出来ていなかった。
デラングによる対 Markdown 戦略をデライト市場戦略に組み込みながらも「第四次デライト市場戦略」にしなかったのも,明らかに全知検索に代わって黄金循環の中心になっていることを感じながら「第二次黄金循環」とすべきか迷ったのも,この無理解のせいだった。
理解出来てしまえば迷うことは何も無い。今日から希哲館事業の中心はデラングであり,第四次デライト市場戦略の始まりであり,今は第二次黄金循環の真っ只中なのだ。
今日は考える余力が無いが,これまでの,新生デライトの一要素というデラングの位置付けも見直す必要がありそうだ。いずれにせよ,“デライトのためのデラング”ではなく,“デラングのためのデライト”になることは間違いない。デライト開発における言語論的転回,「デラング的転回」とでもいうべきか。
既にデラングは独立した言語という位置付けを持っているため時間の問題ではあっただろうが,デラング文書はドメインも dlt.kitetu.com から切り離し,dlng.kitetu.com などとして公開することも決めた。
デラング開発には,CnD 開発や Synx 駒手,知機駒手開発,希哲館訳語や交度英語の整備などで培った経験と技術を幅広く活かせること,高度非言語思考を支援するデルンが欠かせないことも感じていた。しかも,なかなか世に出せなかったこれらの技術・献典よりずっと世に出しやすい性質を持っている。希哲館事業における言語開発の集大成とするに不足はない。
デライト収益乗軌化も目前,デルン10周年,3日後にはデライト2周年という節目にこの気付きを得たことに大きな意味を感じる。脳爆発の噴煙で悪くなっていた視界がまた一気に開けたようだ。
生活律動矯正中ではあるが,この日記だけは熱が冷めない内に書いておきたかったので夜更かしした。

{希哲16年1月27日の睡眠 K#F85E/E74C-6635}
