例えば GAFA の創業者達が,日本とは比べ物にならない競争社会の中で,どれだけの修羅場をくぐってあの地位にいるかを考えれば,少し躓いただけで「潰された」と泣き言に終始するような人間で勝負になるわけない。さっさと立ち上がってやり直せ,と言える強さを持たないと日本人は変わらない。
{あれ K#F85E/E74C-5190}
宇田川浩行{希哲15年3月28日の日記 K#F85E/E74C-5782}
宇田川浩行意を決し,この日から4月10日までの短期集中生活に入ることにした。デライト収益目標達成の必達期限は11月1日としていたが,努力期限としていた5月1日を必達期限に置き換える。つまり,この一ヶ月で決着を付ける覚悟をしたということだ。
4月最後の1,2週間でラストスパート的な短期集中生活に入る可能性は想定していたが,入らなくて済む可能性も残していた。あくまでも努力期限として,収益目標未達になることも無論想定していた。失敗出来ない状況になれば短期集中生活に入ることは避けられず,どうせ入るなら早い方が良い。新生デライトをある程度形にしておきたい4月上旬まで,偶然にもこの日からちょうど14日間だった。経験上,容易に生活律動矯正出来る限度だ。連日興奮気味でどの道まともに眠れそうにないということもあった。
このごろ,デライトが希哲館事業全体に累新をもたらしているように感じる。初心に返ってみることが多くなったり,長年死蔵していた物事が続々と息を吹き返している。デライトが心臓となって事業全体に再び血が巡ってきたようだ。
デライトの成功に焦点を絞り,あらゆる利素をデライトに注ぎ込んだ成果と言えるだろう。このデライト集約によって立ち塞がっていた壁を突破することが出来たのは間違いないが,ずっとこのままというわけにもいかない。デライト開発が快調に進むにつれゆとりが出来,視界が広がってくると,今度はその視野の狭さが足枷になってくる。
と言っても,このことにはっきり気付いたのはついさっきのことで,そのきっかけはつい前日,希哲館本館構想が急速に具体化してきたことだった。あえて目隠しをしていたようなものとはいえ,希哲館事業全体に対する視野を失っていたことの意味に気付かされた。
希哲館事業の成功とデライトの成功は必ずしも一致しない。デライトの成功が確実になる代わりに希哲館事業の成功が皆無になる道と,デライトの成功が危うくなる代わりに希哲館事業の成功が雀の涙ほどありうる道があれば,迷わず後者を選ばなければならないのが希哲館執務長という立場だ。私はデライト開発者である遥か以前に,執務長として希哲館事業の成功に責任を負っている。
そう考えれば,今の歩みは明らかに遅過ぎる。5月1日までの収益目標達成に失敗すれば多少の調整期間を挟む必要があり,6月,7月とずれ込んでいく可能性が高い。それでも必達期限は11月1日なのだからまだまだ余裕がある。それに失敗しても生活に困るわけでもなく,デライトは細々と運営していける。何年か後に成功していれば世間的には大成功で,それはまず確実なのだから焦る必要は全く無い。心のどこかにそんな気持ちがあったことは否めない。希哲館執務長ではなくデライト開発者になっていたからだ。
デライトは極めて重要な希哲館事業の一環ではあるが,所詮は一環だ。デライトの成功は,希哲館事業の成功の爪先にも及ばない。その後にやらなければならない仕事はデライト開発の何百倍とある。デライト収益目標達成ごときにてこずっているわけにはいかない。
最近,日々の展開のあまりの速さに目が回るなどとよく書いていたが,これも今思えば情けない泣き言だ。実際,昨日大きな心境の変化があったかと思えば,今日また新しい心境が開けるのだから,頭の中が洪水のようだ。前日の考えをまとめるだけで半日かかっている。宇宙飛行士の訓練ではないが,これは慣れるべきことなのだろう。むしろ,毎日加速を続けなければ寿命が千年あっても希哲館事業の成功を見ることは出来そうにない。
来月10日までは寝食を忘れてでも頭が働く限り開発に専念し,誰に見せても恥ずかしくない新生デライトで5月1日までの収益目標達成を確実にする。11月1日には希哲館仮本館が出来ているくらいの勢いで加速し続けたい。