どことは言わないが,デライトにとって決定的な追い風があるとしたら,「大規模個人知識管理サービスの破綻」かもしれない,という気がしている。まあ,技術的負債という点ではどこも怪しいので,どこが急に潰れてもおかしくはない。
{怪しい K#F85E/5B28-4BFE}

CSS 変数(カスタムプロパティ)の導入と舞覧五年対応原則の採用を決めて終了。今後デライトでは,「5年以内に離立された版存の主要舞覧」を中心に対応していく。
希哲15年3月1日の開発から「デライト推奨動作環境」として同様の定義を考えてはいたが,当時は,古い舞覧対応の努力はするが推奨はしない程度の,もっと緩やかなものを想定していた。
希哲13年に ECMAScript 2015,HTML5,CSS3 と比較的新しいウェブ標準の導入を決めてからだいぶモダンにはなったが,まだデライトの舞覧対応方針には感覚的で保守的なところがあった。感覚的に,影響範囲の広い付徴は主要舞覧の対応から10年,影響範囲の狭い付徴は5年を目安に導入を考えていた。rem
ですら必要以上には使わなかった。
先日,前次記法実装でグリッド領当てを導入したが,これはちょうど主要舞覧で使えるようになってから5年ほど経つ機能だった。一記法の装体に過ぎなかったこともあり,ここまでは辛うじて良かったが,他にも色々応用したいことが出てきて舞覧対応方針見直しの必要を感じていた。
決め手は,デライトのダークテーマ対応も見据えて CSS 変数の導入を考え始めたことだった。CSS 変数も主要舞覧の対応から5年ほど経つが,本格的に導入するとなると影響範囲が広がり過ぎる。
Can I use で対応舞覧をよく調べるようになってから,「5年以内に離立された版存の主要舞覧」が意外に普及していることに気付いた。大体90%以上はある。
地域にもよるだろうが,確かに,今時古い舞覧を使い続ける方が難しいかもしれない。個人機なら5年は平均的な買い替え周期であり,スマートフォンなら古い部類だろう。自動更新も標準的になった。昔と違って,多数派の“普通の人”ほど新しい舞覧を使っている。
あえて古い舞覧を使い続ける場合というと,一昔前なら古い個人機の再利用というのがあったが,格安インターネット端末が普通に流通している今,新しい舞覧が使えないほど古い端末を使い続ける費用対効果は疑わしく,制危も考えれば推奨出来ることではない。
一番面倒なのが舞覧の更新が許されない企業内利用だが,そもそもそんな保守的な環境でデライトが利用出来るとは考えにくい。
こう考えていくと,デライトにとって古い舞覧への対応の重要性は極めて低いと言わざるをえない。
奇しくも,新生デライトの完成を目指している6月の15日に,IE11 のサポート終了がある。中途半端な気もする内容だが,いわゆるモダンではない舞覧最後の砦が崩壊する。新しいウェブ標準への社会的移行の象徴的な出来事にはなる。
ある程度古い舞覧への対応を考慮してきたのは,企業体力がついた将来,対応を拡充することを考えていたからだったが,これもよく考えると合理性が怪しい。
“技術的負債”は簡単に金で返せるものではない。大企業が肥大化した交度にいかに苦しめられているかを考えれば,合理的に古い舞覧への対応が出来る日が来るかどうかも分からない。むしろ,組織が大きくなった時にこそ見通しの良さが重要になる。
もっと根本的なことを言えば,デライトはウェブ標準という盤本の“キラーアプリ”になるべきものだ。新しいウェブ標準の普及を牽引していくくらいの考えがなくてはいけない。
その伝証の足掛かりがすでにこれだけ普及していれば十分過ぎるだろう。
舞覧五年対応原則の導入によって,ウェブの理想と現実における汚い現実の大部分だった古い舞覧を正しく切り捨てることが出来るようになり,前縁整備はもちろん,デライト文書整備でも大きな効率化がもたらされるだろう。文書整備では,対応舞覧についてどう説明していくかが一つの課題だった。ここまで絞り込めば説明もすっきりする。
デライト開発を劇的に合理化した描出公開原則とともに「デライト二大原則」と呼ぶべきかもしれない。思えば描出公開原則もデライト正式離立という大きな節目を目前にして生み出したものだった。
昼頃,Galaxy S21 5G が届いたので早速出与え移行・回線切り替え作業を済ませた。出与え移行は前回の経験もあり円滑だった。ほぼ同時に届いたスマホケース(6155GS21BO)も良い感じだった。
手定め撮影に出かけてみたが,S21 のカメラは噂に違わず素晴らしかった。美しい風景を適当にでも撮った写真を見返すと,肉眼で見た時の感動がしっかり蘇ってくる。これまで使ってきたカメラではなかなか味わえなかった感覚で,撮るのが純粋に楽しい。S8 はそこそこ綺麗に味気無い写真が撮れるという印象だったし,CX1 は撮影者の技術に大きく依存するカメラだったので気楽さがなかった。
S8 より少し大きいものの取り回しの良さも理想的で,スマホケースとの相性も想像以上に良い。手帳型で増す大きさを計算に入れていなかったので,尚更小さめの機種にしておいて良かった。4年近く使って何度も落とした S8 が無傷だったのはケースのおかげと感じていたため,また同じようなものが欲しかった。
自転車でぶらぶら走りながら写真を撮るという一見素朴な行為が,この質になると最先端かつ極めて贅沢な体験なのだと気付いた。
立地の良い希哲荘があり,気持ち良く乗れる自転車があり,ぶらぶらしていられる時間的・精神的余裕があり……といったことは勿論,よく考えると技術的にも難しいことだ。最新のスマホカメラでなければ画質と手軽さをこの水準で両立させることは出来なかっただろうし,保存・配信効率の観点から WebP でなければデライトで多量に写真を扱うことも難しかっただろう。対応環境が十分な普及率に達してデライトの WebP 対応を進められるようになったのはつい3ヶ月ほど前のことだ。
そして何より,デライトがなければここまでの意義を感じることも出来なかった。私にとって,デライトという個人知識管理における最高級サービス以上の贅沢品はない,ということも再確認出来た。
この勢いで,また自転車で音楽が聴けるように骨伝導イヤホンを注文しかけたが,これはやめておいた。
よく考えてみると,最近,運転中はかなり音に敏感になっている。悪くないとはいえ安物の部類に入る折り畳み自転車なので異音がないか気になるということもあるし,最近の風潮も手伝って安全運転への意識が高まっていることもある。ちょうど Speed P8 を手放した頃からここ10年弱の間,自転車への視線は厳しくなる一方だ。責任の重さを考えれば,注意力を削ぐ要素をわざわざ増やしたくない。その点でイヤホンの種類は関係ない。
私の場合,作業中などに音楽を聴く機会はいくらでもあるし,聴き過ぎの感すらあるので,ちょっとしたサイクリングなら耳休めだと思えばいい。音楽が恋しくなるほどの長時間運転なら,折角イヤホンケースを買ったのだから持って行って休憩時に聴けばいい。音楽に浸りながら自転車に乗る,なんてことはもはやファンタジーだと思うべきなのかもしれない。
ここまで考えて,少し調べてみると,どうも骨伝導イヤホンも都道府県の条例的に怪しいらしいということを知った。特に千葉県の条例は骨伝導イヤホンも含めて禁止と解釈出来るようになっている。無駄遣いせずに済んだ。