{希哲15年6月18日の日記}{うっすら}{見返す}{出典記法}{折り畳み記法}{差分記法}{注意書き記法}{希哲15年6月18日}{自己累新}{描写埋め込み}...=}(51)

{希哲15年6月18日の開発 K#F85E/A-E74C-080F}

デラング整備埋め込み部区実装,その他記法仕様検討など。

気になっていた細かい不具合修正を済ませ,描写埋め込み拡張子のみでの添付譜類ファイル参照実装に入れた。


ひょんなことから,急速定表テーブル記法実装方針が出来た。

最近の輪郭整備月庭の公開描出見返すことが多くなり,何となく「C++ウェブ開発向けライブラリ」を見ていると,どうも定表記法らしいものを使っていることに気付いた。昨年デライト公式デルン初描出の日として参照していたが,その時はデラング整備視野に入ってない頃だったせいか気にしなかった。

すっかり忘れていたし,DIL 0.2交度にも残っていないので,DIL 0.1 か,そんな概念もないデルン最初期実験的実装して間もなく自然消滅したのだろう。

そんなことを考えていたら,当時の実装記憶うっすらり,するする実装方針が出来上がった。1日もあればそれなりの形になりそうだ。これも自己考古学自己累新ルネサンスか。

定表記法は個人的にあまり使う機会が無く,デラング整備でも後回しにしてきた。とはいえ,標記マークアップ言語では目立つ記法の一つなので,これが出来ないことにはデラング整備を終えるわけにもいかない,というところだった。これで一気にデラング整備の終結が近付いた。


これをきっかけに,注意書き記法折り畳み記法差分記法出典記法などその他細々とした記法仕様検討も進んだ。

{希哲15年6月15日}{開発}{開発記録}=}(3)
{希哲15年6月13日}{開発}{開発記録}=}(3)
{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{歴然たる差}{彼我}{日本人思想家}{東洋趣味}{哲学学}{日本人批判}{悩んだ}{許される}...=}(123)

{自分自身についての研究 K#F85E/A-E74C-7BFB}

この一日一文という日課再開してから改めて強く感じることは,私にとって最大の関心事は私自身だということだ。

確かに,釈迦孔子ソクラテスキリスト……その他高名歴史上思想家達の思想生涯よりも,自分自身が体験した「閃き」の方が私には気になる。あの閃きの起源真の可能性探究することが生涯の仕事になるのだろうと思う。

10代の頃から世界中思想について情報収集してきたが,ほとんど自分自身の体験だけを元にここまで思想展開し,独自の技術まで開発している人間なんて他には思いつかない。「独創的」という日本語賞賛に近い響きを持っているので自分で言うのはすこし憚られるが,「世界で最も独自的な思想家」くらいのことは言っても許されるだろう。

もっとも,“独自性オリジナリティ”というのもここまで来ると実際病気に近いものがあり,一概に褒められたものではない。この独自性のせいで自殺を考えるほど悩んだこともあるし,この独自性から生み出したデライトはその独自性ゆえに苦労しているわけだ。私が希哲館事業を「精神の癌」と呼んできた所以だ。


それでも,私がこの極端なまでの独自性に希望を見出しているのは,しばしば「独自性の欠乏」を指摘される日本で,閉塞感突破口を一つでも多く作りたい,という思いがあるからだ。

日本は紛れもなく“個性的な”だ。外国人は,お世辞もあるだろうが「日本人ユニークだ」などと言ってくれる。ただ,日本人自身は,その個性の大半が,個人によるものではなく,みんなで同じことをやっていたら世界的には珍奇なことになっていた,という類のものであることを知っている。ガラパゴスというやつだ。

思想哲学分野で昔からありがちな日本人批判に,外国思想思想家についての研究者は多いが,独自の思想を持つ日本人がほとんどいない,というものがある。日本人がやっているのは「哲学」ではなく「哲学学」に過ぎないのではないか,というわけだ。

これはいまだに重い問いだと思う。「日本の個性的な思想家」というと,武士道やらやら外国人東洋趣味に訴えるような人であったり,サブカルのような「隙間」で活躍する人ばかりが思い浮かぶ。世界史ど真ん中で,例えば,ルソーカントマルクスなどと肩を並べられる日本人思想家が一人でもいるか,という話なのだ。

私は,10代の頃から哲学情報技術の両方に関心を持っていたので,日本の情技(IT)業界にも同じような「日本病」があることに,割と早く気付いた。

情技業界でも,やはり外国から来た技術流行について日本人敏感で,非常に勉強熱心だ。知識量では決してアメリカ人に負けていないだろう。ではなぜアメリカにここまで水をあけられているのか。外国人が作ったものを勉強することは出来ても,世界中で勉強されるようなものをなかなか作り出せないのだ。

こんなことを言うと,特定分野で一応世界的に名の知られた日本人を引き合いに出して反論したくなるかもしれない。しかし,これも先の思想家についての問題と同じで,ではジョブズゲイツのような経営者ドナルド・クヌースケン・トンプソンのような技術者と並び称される日本人が一人でもいるだろうか,と考えてしまうと,残念な結論しか出ない。

あの凄いアメリカ企業出世した,あの凄いアメリカ人知り合いだ,この業界での「凄い日本人」の話は大抵こんなものだ。気休めを言ったところで,彼我歴然たる差は認めるしかない。


ただの日本人批判をするつもりはない。

私は,個人性格にも,いわゆる国民性にも,一概に優劣をつけることは出来ないと思っている。実際,日本人は,この日本人らしさで,一番ではないにしても十分な成功を収めてきた。しかし,向き不向きはある。今の日本人は,明らかに知識産業には向いていない。これからの知識産業時代適応出来ない。ではどうすればいいのか。

やはり,日本人自身が,日本から世界に向けて,「誰も投じたことのない一石」を投じなくてはならない。成功するにせよ失敗するにせよ,希哲館事業もその一石には違いない。だから,少なくとも希哲館事業が日本にある限り,日本にはまだ可能性がある,と私は思えるのだ。

アメリカ人は,ぼろぼろ吊り橋を平気で渡っていく。日本人は,それをずっと後ろの方で様子見して,石橋が出来てからそれを叩いて渡る。これでは勝てないのが情技産業知識産業だ。

世界のど真ん中で,誰もやらなかったこと,誰もやれないことを誰よりも先にやり,誰も見たことがないものを誰よりも先に見る。いま日本が必要としている“独自性”というのは,突き詰めればそういうことなのだと思う。

{開発}
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