{関心を持っている}{振り返られる}{落ち着いてしまった}{少数精鋭}{極端に}{様子を見られている}{遠巻き}{デライトの認知度}{強い関心}{登録用者数}...=}(121)

{希哲15年9月4日の日記 K#F85E/A-E74C-DC0F}

昨日休まず深夜まで開発作業を続けた上の寝不足で,日中流石に疲労感覚えた

疲れの中で,デライト取り巻く状況などについてぼんやり考え事をしていた。

最近デライトの外デライト言及されているのを見かけることがちょくちょくある。自分が思っている以上に,デライトに興味を持ち,デライトについて考えてくれている人が多いことに,嬉しいような,申し訳ないような気持ちになる。「面白そう」と関心を示してくれる人の多さはもともとだが,いまだに,ほとんどの人がを感じているようだ。

登録用者数検索流入デライト宣伝への反応などを総合して推定するに,「個人知識管理強い関心を持つ」におけるデライトの認知度はすでに高い換言すれば,いまデライトを使ってくれそうな人の多くがすでにデライトを知っている,ということだ。やはり N10K 騒動あたりからだろうが,扇情的話題だったにもかかわらず好意的反応も多かった。しかし,その大半はデライトを使わず活動用者極端に少ない

もっとも,その半分くらいは意図したところでもあった。

いまデライト開発は,「快調」を越えて怪調」とでもいうべき状態にある。半年前には想像も出来なかった水準に,想像も出来なかった道程到達している。要因は色々考えられるが,用者少数精鋭で,手間もかからなかったことは間違いなく一つだ。ここまではそれで良かったが,当然,収益目標達成のためにこのままではいけない。

ずっと遠巻き様子を見られているようなこの奇妙状況について考えているうち,久しぶりに「ダーウィンの海」という言葉白熊作戦思い出し,吉野彰氏の『「ダーウィンの海」についての一考察』読み返した「関心はあるけど買わないよ」というのは,まさにいまデライトが受けている「面白そうだけど使わないよ」という反応のことだ。もう少し早く越えられるだろうと思っていたが,結局「ごく標準的期間」という15年にも近付いている

ふと気になったのは,ここでいう「神風」だ。デライトにとっての神風とは何か。去年の今頃,9月9日の日記にも似たようなことを書いているが,Roam Research なり Notion なりが牽引する「個人知識管理ブーム」を期待していたものの,それも微妙なところに落ち着いてしまった感があった。

しかし,ここでデライト成功すれば,いまは中途半端に見える個人知識管理盛り上がり神風だったと振り返られるだろう。結局,神風デライト成功させるのではなく,デライトの成功時代の流れ神風にするのだ。これに気付いたことは収穫だった。

新生デライト開発は,いまデライト関心を持っている人達にとっての障害取り除いていく手段でもある。そのには収益目標達成十分厚みがある。やはり,新生デライトの完成急ぐよりほかはない。


夕方から疲労感も抜けてきたが,また夜更かししそうなので開発作業は早めに切り上げた

……にもかかわらず,この日記を書いていたら25時を過ぎてしまった。

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{あれ}{不思議な道程}{9年後}{再組織化}{回復機能}{9年前}{脳任せ}{間違ったこと}{勝手なこと}{起こりうる}...=}(93)

{希哲15年8月24日の日記 K#F85E/A-E74C-501C}

そろそろ新生デライト実装作業本腰を入れないとまずい,と今後の組計をざっと見通してみて,少し驚いた

9月中に決着をつける10月延長戦持ち込むかを9月10日に決めるとして,残り17日間今月雑務処理明日1日使うため,実質16日間ある。今月初めから実装作業没頭して9月中頃に新生デライトの完成という見通しだったことを考えるとずいぶん圧迫されたようだが,不思議とまだゆとり感じている

作業方針組計整理開発環境整備や諸検討大きな進展等々によって,月初とは比べ物にならないほど新生デライト開発見通しが良くなっているからだろう。今月の雑務処理にしても,月初には5日程度を見ていたが1日短縮出来た。ちょうど過ごしやすい季節になりつつあり,これまでが良い夏休みだったような気さえしてきた。

この状況なら,今後16日間での新生デライトの完成収益目標達成にも十分期待出来る。多少の計算違いがあっても吸収出来る程度のゆとりもある。現状を踏まえると,完璧に近い組計だ。これを無意識下整えていたと思うと,やはり不思議な気分だ。

多少の懸念はある。ただの事故無視するとしても,まだ脳の暴走起こりうる。とはいえ,勝手なことはよくしても,間違ったことはほぼしなかっただ。想定外方向走るとしたら,それがより良いだからだろうと思える。

最近の「脳任せ」ぶりについて考えていたら,デルンの実用化を果した頃のことを思い出した9年前の今頃も,もう意識的整理出来ない情報詰め込み,「決壊」させ,生理的回復機能利用して再組織化させようとしていた。

その混沌からデルン誕生したわけだが,9年後にこんな形で希哲館事業発展しているとは想像出来なかった。そういう意味では,ずっと不思議な道程で来ている。想定外なんて今更な話だった。

かつての成功体験思い出したことも,良い兆候だと思っておこう。

{第三次黄金状態の回復}{第三次黄金状態}{整えた}{定常化}{忘れそう}{よく分からない}{温かい快感}{粗探し}{成り行き任せ}{親玉}...=}(88)

{希哲15年6月7日の日記 K#F85E/A-E74C-2F4A}

一日の間に,第二次黄金状態から第三次黄金状態への移行観測,これをもって「第三次黄金状態の回復」とした。

経験上新黄金状態では時間の体感密度が数倍になる。この一ヶ月が数ヶ月にも感じられるわけで,時期状況を踏まえれば極めて大きな収穫と言える。


日中は,輪郭整備から朝の一日一文への流れも非常に上手く行き,以降は握接遮断をすることで集中力維持成功デライト開発にもよく集中出来た。ただ,から些細なことで苛立ちを感じることが多いのが不思議だった。

変化を感じ始めたのは,夕方散歩に出た頃からだ。

第三次生活習慣改善が進んでからもなかなか改善しなかった胃腸の調子睡眠の質右目の三重瞼など,こまごまとした問題にも改善が見えるようになり,いよいよ問題という問題も無くなってきた。しいて気になることと言えば,食事がまだ成り行き任せなことくらいだが,もはや粗探しに近い。

組計スケジュール環境もほぼ完璧に整っている。これはもう「黄金生活」と言っていいのではないか。雑魚一掃し,あとはデライト収益目標達成という親玉を残すのみという状況だ。自然と焦点も定まってくる。

……そんなことを考えながら歩いていると,身体奥底から温かい快感が湧き出し,全身を満たしていくような感覚を覚えた。この感覚は,間違いな第三次黄金状態のそれだった。

面白いことに,苛立ちからの発現過程が最初に第三次黄金状態を体験した時によく似ている希哲14年7月4日の日記


昨年末の日記で,一時失なっていた黄金状態取り戻したというようなことを書いている。それから1月までは黄金状態についての言及がいくつかあるが,それ以後は黄金状態について書かなくなっている。体調記録にも「特に異常無し」とだけ書くことが多かった。

その頃から状況心境の変化が激しくなり,自分の状態冷静認識することが難しくなっていた。変わっているのか,変わっていないのか,変わったとしてもそれがごく一時的なものかもしれず,そもそもそんなことを考えている余裕が無いことも多く,そうこうしているうちに黄金状態の感覚も忘れそうだった。簡単に言えば「よく分からない」状態だった。

思い出してから振り返れば,この間はせいぜい第一次黄金状態がほとんど,ときどき第二次黄金状態がある程度だっただろう。第三次黄金状態があれば記録していないわけがない。

新黄金状態自体,もともと超黄金状態規則正しい生活の中で定常化したものだ。生活不安定化している時に得られるものではないのだろう。

これも,「黄金生活」などという言葉が頭に浮かぶくらいに生活整えた成果か。

8日振り返り日記

{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{SNS 嫌い}{社交辞令}{社会的行為}{腑に落ちた}{最高の誉め言葉}{容姿が良い}{喧嘩が強い}{学校の勉強}...=}(113)

{誉められて嬉しかったこと K#F85E/A-E74C-5C5B}

私には,誉められ嬉しいと思った記憶がほとんど無い。誉められるのは,どちらかといえば苦手なくらいだ。先日の一日一文では私の独特な金銭欲について書いたが,これは私の独特な名誉欲かもしれない。

なぜ誉められても嬉しくないのかと考えてみると,そもそも幼い頃に自尊心完成されてしまっていた気がする。自尊心に欠けているところが無いので,いわゆる承認欲求的な感情も無い。

誉め言葉をもらっても,すでに満杯に余計なものを注がれているような感覚で,こぼれたのを拭くのが面倒になる。それが社会的行為である以上,例えば,謙遜して見せなければならないとか,こちらも社交辞令で返さなければならないとか,新しく得たものも無いのに“対応”を求められるわけだ。

私の SNS 嫌いもこんなところから来ている気がする。好意的反応をもらうことはもちろん「ありがたい」と思うし,仕事であれば必要なことでもあるが,個人的心情としては嬉しさより面倒臭さを感じてしまうことが多い。

誉められて嬉しくないのだから,貶され悲しいこともない。むしろ,他人が顔をしかめるようなことをしていた方が,自由を感じることが出来て面白いとすら思っていた。

子供の頃からこんな性格だが,大人になってからも,名誉ある地位に就きたいとか,ナントカが欲しいとか,テレビネット有名になりたいとか,そういう感情を抱いたことが無い。

日ごろ私の活動を見ている人なら納得出来るのではないかと思う。希哲館事業は,誰の肯定神託必要とせずに自分のやることに絶対確信を頂き,この上ない充実感を得て生きる人間がここにいる証拠なのだ。

私には,自分で作った「初代希哲館執務長」が,どこの国の君主首脳肩書きよりも,ノーベル賞よりも名誉に感じられる。だからこれ以上の名誉は一切不要だ。

これも病気といえばそうかもしれないが,SNS などの発達で,名誉欲承認欲求に人生を狂わされる者が無数にいることを考えると,「健全」とは何か,考えずにはいられない。


そんな私にも,人生で一つだけ,誉められて嬉しかったことがある。

恐らく4歳5歳頃だ。保育園で,はさみを使って工作のようなことをしていた。何か工夫をして,上手いこと出来たな,と思った時,保母さんが「ひろくんはアイデアマンだね」と言った。この時のことがなぜかずっと,鮮明記憶としてある。そして定期的に思い出す

当時の私に「アイデアマン」という言葉の意味が分かったとも思えないが,自分は何か工夫をすることが得意なんだな,ということくらいは体験として分かっただろう。もしかしたら,言葉が分からなかったから印象的だったのかもしれない。これもカセット効果という奴だろうか。

その後,私は,トーマス・エジソン憧れたり,信長でも家康でもなく秀吉好き少年に育っていく。子供ながら,発明とか発想価値を感じていたのだろう。

そして17歳の頃に輪郭法き,デルンデライト開発して今にいたる。確かに,これ以上価値あるものが今の私には想像出来ない。

頭が良いと誉められて学校の勉強を極めても,運動が出来ると誉められてスポーツの世界に行っても,容姿が良いと誉められて見た目を売りにするような世界に行っても,もちろん,喧嘩が強いと誉められてヤクザな道に入っても,今の私にはならなかっただろう。

私にとって最高の誉め言葉があるとすれば,やはり「アイデアマン」以外考えられない。この文章を書きながら,三十年来,心のどこかに引っかかっていたものがようやく腑に落ちた

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{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{先が思いやられる}{関の山}{最終目標}{迷い込んだ}{良い暮らし}{立ち尽くす}{分かれ道}{選んだ}...=}(75)

{いくつかの岐路 K#F85E/A-E74C-05DC}

私にも,いくつか人生の岐路というべき場面があった。

私は12歳頃から変わったを歩むことになったので,これも岐路といえばそうかもしれない。ただ,意識的にこの道を選んだわけではないし,その後のことも全く想像出来なかった。なんとなく迷い込んだという感じだ。

分かれ道を前に立ち尽くすような人生の岐路という意味では,やはり17歳の頃を思い出す。「閃き」で輪郭法希哲館事業青写真が出来た頃だ。

希哲館事業に進むべきか,その気持ち押し殺して普通の人生に進むべきか。どちらを選んでも困難は目に見えていた。結局,決心して希哲館事業発足にいたるまで4年ほどかかった。希哲元(2007)のことだ。

次の岐路は,希哲6(2012)デルンの実用化直前のことだった。

当時の私は,何かと恵まれ個人事業主として好条件司組システム開発仕事をもらったりしていた。このまま無難に仕事を続けるか,思い切ってデルン開発注力するか,という岐路だ。

この時は,あまり迷いもなくデルン開発を取った。希哲館事業を始めた時点で,私の目標は,とりあえず世界史上最大の企業を創り知識産業革命実現することだった。それすら最終目標ではない。このまま無難にやっていれば,そこそこの大企業を創るのが関の山だろうと思った。

デルンの実用化成功とともにそれまでの仕事は全て止め,デルン育てることに注力するようになった。それから更に8年ほど経った希哲14(2020),デルンはデライトとして世に出る

そして今年開発が上手く行き,デライトの成功時間の問題という所まで来て,また一つの岐路があった。じっくり時間をかけてデライトを成功に導くか,多少リスクが増してもデライトの成功を急ぐか,という岐路だ。

もちろん,私はデライトの成功を急ぐことにした。デライトの成功は,希哲館事業の成功過程に過ぎない。デライトだけが成功しても意味がなかった。これは「デライトはなぜ成功を急ぐのか」でも書いた通りだ。

結局,私は無難な道を選ぶということが出来なかった。希哲館事業の成功への希望が残るかどうか。17歳の頃から,それだけが私にとっての死活問題だった。どんなに安全だろうとその希望がゼロなら私は生きていられないし,どんなに危険だろうとその希望がわずかにでもあれば生きていける。

今のところは環境のおかげで良い暮らしが出来ているし,見通しも良いが,生き方そのものがとんでもない綱渡りには違いない。そう考えてしまうと,具体的心配もないのに先が思いやられる

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{一日一文}{パチンコ玉}{}{すぐそこ}{三分の一}{一発当てる}{急ぎ過ぎ}{ひよっこ}{ネットサービスにおける「成功」とは何か}{計り知れない}...=}(72)

{デライトはなぜ成功を急ぐのか K#F85E/A-E74C-65CE}

昨日の一日一文でも書いた通り,ネットサービスとしてのデライトは,十分な収益が上がっていないという一点を除けば極めて良好状態にある。開発者としては,そう高くはない収益目標達成をもって一応「デライトの成功」だろうと思っている。

デライトは,昨年2月13日に「正式離立リリース」した。と言っても,あまりに品質上の問題が多かったため,しばらくの間,宣伝はほぼしなかった。積極的な宣伝をしていた期間は,これまで合わせて半年くらいだろうと思う。サービスとしてはまだひよっこだ。

勘報コンピューティング最重要かつ成功例の無い分野であることを考えると,成功急ぎ過ぎなのではないか,と思うことも無くはない。成功が数年後でも十年後でも,別に遅くはない。むしろ,じっくり育てた方が成功確度は上がるだろう。

私が単に一発当てたいだけのサービス開発者ならそれで良かった。しかし,私の目的は,デライトの成功ではなく「希哲館事業の成功」にある。

デライトが成功し,GAFAM を軽く越えるような世界史上最大の企業を作り上げてようやく三分の一進捗か,というほど希哲館事業構想は大きい。「人類史上最大の事業構想」は伊達ではない。その後にやらなければならないことの多さを考えれば,デライトの成功にてこずっているわけにはいかない。

もう一つ,個人的感情でいえば,これ以上周囲迷惑をかけたくない,ということがある。

画一的と言われる日本にあって,私がここまで好き勝手に他人と違うことが出来ているのは,他でもなく環境おかげだ。デライト自体はついこの間出来たようなサービスだが,その下地20年くらいかけて作ってきた。ここに来るまでに私がかけた周囲への負担迷惑計り知れない。流石にそろそろ償い恩返しもしたい。


開発者肌感覚として,デライトの成功は「すぐそこ」だ。しかし,これほど歯痒い時期もない。

一般的な感覚かどうか分からないが,子供のころのマラソン思い出すゴールがすぐそこだと思うと,心理的距離は長く,足は重く感じるようになる。ここまで来てまだあるのか,という感じだ。

もっと分かりにくく喩えるなら,私はいま,パチンコ」で勝利を目前にしたカイジ気分だ。デライト上にある無数の輪郭パチンコ玉に見えてくる。流し込み続ければ勝てる。そう分かってはいても,勝つまで解放されることはない。

{一日一文}{勝負の月}{文章訓練}{発信媒体}{一日一文の再開}{デライト収益目標達成}{必達期限}{機能性}{個人知識管理}{デライト正式離立}...=}(50)

{一日一文『道草録』再開とデライト近状 K#F85E/A-E74C-297F}

広く読んでもらうための文章を毎日一つ書く習慣一日一文」を,今日からデライト再開することにした。

文章訓練も兼ねた献典コンテンツ拡充のため,希哲8(2014)年頃から断続的にやってきたことだが,昨年デライト正式離立リリース以後はまともに出来なかった。単純にデライト開発に追われてそんな余裕が無かったということもあるし,多少なりとも時間を費す以上は効果的発信したい,という気持ちに応えられるデライトでもなかった。

最近開発が自分でも信じられないような快調ぶりで,デライトは日々着実に進歩している。発信媒体としても十分な信頼性機能性を有するようになってきた。機運が熟したということだろう。

一日一文は1時間以内を目安に書くことにしているので,あまり凝ったものにはならないと思うが,デライト希哲館事業について知ってもらうための文章を少しずつ書いていきたい。書いた文章は,よほどまずくなければ『道草録』という随筆集収録していくことにした。

『道草録』はもともと,希哲元(2007)年希哲館事業発足と同時に始めたブログ名前だった。途方もなく巨大な事業構想を前に,全てが手探りで,何でも試してみるしかなかった当時の私の心境をよく表している。初心思い出すという意味でも良いのではないかと思った。

さて,デライトは,快調な開発状況背景として収益目標達成必達期限11月1日から5月1日に早めた。つまり,今月勝負の月だ。個人知識管理大革新を起こそうというデライトの挑戦をぜひ一緒に楽しんでほしい。

{新生デライト}{一日一文}{希哲15年4月の月記}{発信媒体}{デライト収益目標}{デライト一日一文}{一日一文の再開}{希哲15年4月下旬}{黄金週間}{年度始め}...=}(65)

{希哲15年4月1日の日記 K#F85E/A-E74C-646E}

寝不足も続き,いつ疲労感に襲われてもおかしくない状況だが,絶好調だった。

先月20日頃まで,この日にはデライト収益目標を達成し,デライトの春希哲館の春にしたいなどと思っていた。収益目標未達だったが,ここ一週間,美しい桜並木を見ながら,思い描いた通りのの訪れを感じていた。代わりに得たものがそれだけ大きかったということだろう。

今を仮に「希哲館累新期」と呼び始めた1月にそれほどの確信は無かったが,希哲館本館構想具体化を経て,今まさに「希哲館累新」が起きていることを確信した。竜力竜虎計画など初期の構想についても久しぶりに思い出していた。

希哲館事業構想は,輪郭法閃きから生まれたものだ。その輪郭法をに変えるデライトによって希哲館事業可能性が広がるのは必然なのだろう。

10日までに新生デライトをある程度の形にし,20日までに諸調整仕上げを終え,年度始めから黄金週間に向けて世間が少し落ち着く下旬第三次宣伝攻勢を仕掛けたい。

第三次宣伝攻勢も,先月デライト開発快調を受けて変容した。短期間集中して,印迫最大化することを考えるようになっている。これは一夜革命そのものだ。「デライト一夜革命」を第三次宣伝攻勢の定問とすることにした。一夜城たるデライトの品質自信が持てなければ考えられないことだった。


デライト一日一文」として一日一文の再開も考え始めた。

一日一文デライト正式離立から間もなく完全に途絶えていた。単純に忙しかったということもあるが,発信媒体としてのデライトがあらゆる意味で不安定貧弱だったということも大きい。今のデライトなら効果的発信出来るだろう。

短期集中生活中に無理をしてやることでもないので,余裕の出来た時期に始めたい。

2日振り返り日記

{思い出す}
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