{希哲17年1月12日}{希哲17年1月11日の副日記}{提示される}{継続的な}{告知する}{利用規約の更新}{検討してきた}{簡易通知機能}{仕上げ段階}{希哲17年1月11日}...=}(72)

{希哲17年1月11日の開発 K#F85E/E74C-A0C4}

{希哲16年2月15日}{希哲16年2月14日}{用者}{HTML}{HTML5}{デラング}{進捗記録}{高い}{あれ}{役割を持たせる}...=}(248)

{希哲16年2月15日10歩 K#F85E/E74C-2CA8}

{希哲16年2月4日}{開発}{希哲館訳語}{進捗記録}{希哲7年}{強い}{軽量標記言語}{霞んでしまう}{物量的}{心理的な負担}...=}(75)

{希哲16年2月4日3歩 K#F85E/E74C-1671}

進捗時限記録中略

希哲館訳語についての整理終了

〈lightweight language〉などにおける〈lightweight〉には素直に軽量」を当てることにした。

例えば〈lightweight markup language〉は「軽標記言語」と訳していたが,見慣れない翻訳語組み合わせると,原語ぱっと浮かんでこない。これは「軽量標記言語」の方が無難だろう。

そもそも〈lightweight〉に「軽〜」を当てるようになったのは,希哲7年頃に〈lightweight language〉への「軽言語」という翻訳語考えてからだ。

論組言語においては,スクリプト言語の類を「軽量言語」と呼ぶのに抵抗があった。デルン開発でも鈍重PHP から 書き換え間もない頃だったし,ツバメ開発でも余計なパッケージ必要なことが多い論組言語は「荷物」だった。「軽量」が人間負担軽さ表すものだとしても,論組では実行速度遅さ心理的な負担になることも多いわけで,違和感拭えない。そこで少し抽象的な語感になる「軽〜」を使い始めた

ただ,標記言語の場合は実行速度などの問題がないせいか,物量的軽さという意味合い強い軽量」でもあまり違和感がない。むしろ抽象的な軽〜」を使う方がその長所霞んでしまう表現になる気がする

そもそも,「軽量」という表現問題があるとしてもそれは翻訳語責任ではないし,そこを意訳すると〈lightweight〉という表現をめぐる議論参照しにくくなる。

{デライト}{デラング}{進捗記録}{交度}{whr_kw()}{希哲15年8月23日の開発}{検索語変換}{どうとでもなる}{条件次第}{OR 検索}...=}(70)

{希哲15年8月23日7歩 K#F85E/E74C-ECC6}

全知検索整備についての検討終了

全文検索にはとりあえず pg_bigm採用しておくことにした。知名検索でも中間一致検索性能課題だったので,これも解決出来そうだ。後方一致検索に関しては,PostgreSQL 9.1 から reverse()組み込み函数として提供されるようになっているので問題ないだろう。

後縁実装どうとでもなるが,難しいのは用合いだ。全知検索窓をこれ以上ごちゃごちゃさせたくないので,まずは検索演算子として各種機能実装したい。これに関しても,だいぶまとまってきた

カンマAND 検索に使うという構想があったが,& ボタンとの兼ね合いもあるので,まずは無難&AND で AND 検索,|OROR 検索対応することにした。除外検索条件次第- を使えるようにしてもいいだろう。

部分一致検索については,省略記号 ...ダッシュ記法応用した ---対応する。

描写検索については,基本的には昨年7月27日3歩方針踏襲し,末尾に ?? を加える形で対応することにした。デラングとの兼ね合い検索寸片をどうするかという課題は残るが,デライトではそれほど多用するものではないので,まずは普通に引っかかるだけで十分だろう。

一つの可能性として,検索ボタンダブルクリックダブルクリック検索対象切り替える機能があってもいいかもしれない。

いずれにせよ,まずは既存の検索語変換交度whr_kw()まとめる作業から始めることになるだろう。

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{〈Amazon〉}{}{文化}{日本語}{19世紀}{18世紀}{江戸時代}{}{}{}...=}(570)

{日本はどう逆転するか K#F85E/E74C-3C71}

昨日の一日一文では高度経済成長期以後の日本の盛衰について分析してみたが,今日は,そんな日本がどうやって中国抜き返し,アメリカをも凌ぐ世界史上最大の極大国ハイパーパワーとなりうるのかについて書いてみよう。

アメリカ脱工業化成功繁栄を極め日本工業しがみつ凋落した……物語はここで終わったわけではない。ジパング計画という“新しい物語”が始まるのはここからだ。

あての無い家出

私は,これまでの世界で起きた脱工業化という現象を「あての無い家出」と表現したことがある。とりあえず工業中心から脱してはみたものの,落ち着ける先が見えていないからだ。脱工業化は世界にとって時期尚早だったかもしれない,という雰囲気は実際に広がりつつある。

それを象徴するような二つの出来事が同じ2016年に起きた。イギリスにおけるブレグジット決定,アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプ当選だ。私はこれらに象徴される英米政治混迷を「英米政治危機」と呼んできた。

そしてその背景にあったのが,情技(IT)産業をはじめとする知識産業隆盛に伴う工業の衰退格差拡大国民分断だった。世界経済と脱工業化の先頭を走っていたアメリカ,そのアメリカを生み出したかつての超大国であるイギリスが同時に似たような危機に陥ったことは偶然ではないだろう。

産業革命から近現代牽引してきた両国の産業構造はもちろん,政治文化にも通底する何かの限界が,ここに来て露呈したのだ。

トランプ政権下のアメリカでは,まさに脱工業化の煽りを受けたラスト・ベルトに支持され“再工業化”の動きすら見られた。それは,あてのない家出から“出戻り”してきた少年少女のような,心細いアメリカの姿だった。

近代と工業,そして新近代化

一般に,国民国家間接民主主義資本主義といった現代社会標準的体制形作られた18世紀頃から20世紀頃までの時代を「近代」という。

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{無難}

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