希哲12年8月17日から可能な限り毎日付けることにした。
希哲13年7月17日の日記から,「(日付)の日記」という知名で記録することにした。これまでは日付のみの知名で書いていたが,何かと混同の恐れがあった。例えば,後からその日の出来事などについて加えたい記録と,当時の日記として残しておきたい記録の区別がしにくい。
希哲12年8月17日から可能な限り毎日付けることにした。
希哲13年7月17日の日記から,「(日付)の日記」という知名で記録することにした。これまでは日付のみの知名で書いていたが,何かと混同の恐れがあった。例えば,後からその日の出来事などについて加えたい記録と,当時の日記として残しておきたい記録の区別がしにくい。
最近,良い意味で雑念が増えてきた。この4年余り,デライトの完全な成功以外のことはほとんど考えられなかったが,張り詰めていたものが一気に弛緩した感じで,懐かしさも感じる。
デライト以後の身体の変化という点では,デライト開発が本格的に始まった4年前には数えられる程度だった白髪がだいぶ増えたことが一番気になっている。全体的に見ればまだ黒々としているが,やはり健康面での消耗はそれなりにあったのだろう。これも長期安定体制への切り替えを考えるようになった理由の一つだった。理想状態を取り戻せるギリギリのところだ。
無理をする必要はなくなったので,7月いっぱいまではちょっと早い夏休みだと思って心穏やかに過ごすことにした。