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{希哲13年11月27日の日記 K#F85E/A-5B28-C6BE}

デライト正式離立に向けて本格的な開発体制に入って3日目。最初の2日はあれこれ盛り込みたくなり気が散りがちだったが,今日から正式離立に最低限必要な作業にまず徹することにした。

また,徹夜解禁して,あえて執務自由日扱いにすることにした。

出来れば生活律動を保っていたかったが,いま生活律動の矯正にこだわっていると時間的損失が大きいと判断した。特に,ここ最近,早くに入ってもなかなか寝付けない,ということが気になっていた。床に入って眠る努力をしている時間が一番無駄なので,頭が冴えているうちに働けるだけ働き,眠くなったら歯磨きだけはしっかりして寝ることにした。一時的に生活が乱れても一週間程度までなら経験上尾は引かない。

こうした工夫の甲斐あって,開発にも調子が出てきた。

まだ上手く表現出来ないが,デライト正式離立描出中毒検索演心教育が絡み合って,意外な展望が開けつつあるような,不思議な感覚がある。

希哲館事業収益化知識産業革命であり,人類悲願の「知益合流」だ。「デライトの先」がよりよく見えてきたのかもしれない。

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{自由日}{デライト正式離立}{希哲13年11月23日}{デライト営業}{デライト仮公開}{デライト再公開}{『希哲日記』}{希哲館事業収益化}{オープンβ}{デライト}...=}(20)

{希哲13年11月23日の日記 K#F85E/A-5B28-80A2}

今日は宮参りで朝から私以外の家族が揃って出かけ,八つ時には帰ってきて一緒に過ごした。

私は留守番だったが,正午近くまで寝てしまったため落ち着いて作業出来る時間はほとんど無かった。大仕事の前の息抜きも必要だろうと思い,隙間に描出をしながらゆっくり過ごした。

と姪はやはり明日帰るらしく,明日からはそれなりに落ち着ける環境が戻ってくるだろう。執務は規則的にするのも難しかったためしばらく自由日扱いにしていたが,これもそろそろ戻したい。

デライト仮公開以後,オープン β に近い形での「デライト再公開」を目標にしてきたが,着実に作業を進めれば十分な品質離立出来る状況にあると判断し,12月1日の「デライト正式離立」を決めた。結局,自分の完璧主義には敵わなかったということかもしれない。

それと同時にデライト営業を始め,希哲館事業収益化を実現することを今年目標に据える。

昨日までデライト再公開を今月内にと考えていたが,出来るだけ早く,ではメリハリが付かない。確実に実現出来る期間を取るなら1週間は欲しいが,11月30日ではキリが良くない。途中で変更したくなっても,遅れるよりは早める方がずっと良いし,早く集客を始めたければ部分的に先行公開という形にする,など選択肢が多いという点で12月1日を選んだ。

選んでから気付いたが,最初にデルンの一般公開を予定したのが昨年12月1日で,その直前にデライト構想が生まれている。12月1日で正式離立出来ればちょうど1年延期になる。細かい延期を繰り返してきたせいで気付かなかったが,キリの良さという点でも理想的だろう。

この1年で十二分の蓄積が出来,油断さえしなければ希哲館事業収益化を実現する時間も十分にあるはずだ。適度な緊張感を持って確実にを進めたい。

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{希哲13年7月12日 K#F85E/A-5B28-1C49}

今日は久しぶりの自由日にした。

今月に入ってから急速に進んでいた の整理が一段落し,ずいぶん綺麗になった交度を眺めながら,ぼんやりと過ごした。というより,達成感疲れが入り交じったような感覚で,あまり気が入らなかった。

経験上,たまにはこういう時間が必要なことは分かっていたため,途中から自由日に切り替えた。夜になると,何となくのんびり夜更しをしたい気分になり,わざと遅くまで起きていた。

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{希哲13年4月30日 K#F85E/A-5B28-B3E5}

今日も起きるのが遅くなり自由日に。大型連休中でもあり歴史的な時期でもあるのでまだいいが,そろそろ腹を括る必要がある。

今上陛下最後のお言葉を聴く。

希哲館事業は辛うじて平成中に軌道に乗ったが,あとは速度の問題だ。

平成の終わりとともに希哲時代を背負って立つ覚悟をし,希哲館事業収益化までは自由日を取らないことを決めた。

{自由日}
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