一昨日から過熱気味なので少し抑制的に過ごすつもりだったが,結局過熱気味だった。
今月の事務的な処理は完了し,来月一杯,新生デライト開発に専念出来ることが確定した。
点検・まとめをして注意補足記法実装はいったん終了。十分使えるものにはなったので,ラベル・アイコン対応は後回しにする(注意補足記法の様子)。
結局,注意補足記法は以下のような形になった(「注意補足記法が出来ました!」より)。
<!--
これは編集用コメントです。表示されません。
-->
!--
*これは小さな注意書きです*(`!` で開始)。目立たせる必要のない義務的な表示などに向きます。
--
!!--
*これは普通の注意書きです*(`!!` で開始)。軽い警告などに適しています。
--
!!!--
*これは重い注意書きです*(`!!!` で開始)。重要事項などの表示に適しています。
--
!?--
*これは普通の補足です*(`!?` で開始)。読み飛ばしても構わない程度の補足に適しています。
--
!??--
*これはより有用な補足です*(`!??` で開始)。推奨事項やヒントなどの表示に適しています。
--
当時詳しく書いている暇がなかったが,この方針は2月27日の開発でまとまったものだ。
注意記法・補足記法に関しては当初 !
か ?
だけで書き分けるつもりだった(1月24日16歩)が,いざ ?
だけを並べて書くと,補足というより疑問点を書き込んでいるように見えてしまうことに気付いた。最初は一律 !
にする方が ?
を加えても「気付き」「発見」のような意味合いが感じられ補足記法に調和すること,編注記法からの派生であることがより分かりやすいこと,小さな注意書きと小さな補足の区別の難しさ・役割の重複を避けられることなど,利点が多かった。
結果的に注意記法・補足記法の一体感が強くなったため,名称もとりあえず「注意補足記法」としている。
HTMLElement.offsetWidth
}{初期化されない}{再追加}{正規の手段}{初期化する}{思いきや}...写し取り部分の背景色が変わる「写し跡」を,時間経過で透明化するようにして終了。CSS アニメーションを使い,明るい背景では gainsboro
から ease-in
で30秒かけて完全透明になる。感触は良好。
この機能自体は写し取りを確認しやすく有用だと感じていたが,解除方法が難点だった。これまで再読み込み以外で消せなかった。当初,マウスオーバーで消せるようにするつもりだったが,タッチ端末を考えると汎用性に欠けるので気乗りしなかった。最近になって時間経過で消すことを思い付いた。
実装は CSS アニメーションを使えば容易……と思いきや,CSS アニメーションをスクリプトから初期化する正規の手段が無いことを知り困った。単純に分類名を削除・再追加するだけでは初期化されない。結局,分類名の削除の後で以下のように HTMLElement.offsetWidth
を参照してリフローさせるという小細工が必要だった。
void elm.offsetWidth;
気持ちの良い方法ではないが,確かに主要舞覧ではちゃんと動作する。しばらくこれで様子を見ることにした。
輪郭ページと知名選り手以外の知番輪結に最大化アイコンを追加していったん終了。小さい変化だが効果は大きいだろう。
中景輪符の知名輪結・知番輪結の役割は動かしようがない。旧デルン実装では,知名輪結で輪郭ページに飛び,再検索用に ? の輪結を置いていたが,再検索は多用するので直感的な方がいい。輪符における知名と知番の役割から考えても,単純性を保ちつつ整合性を取るとこの形になってしまう。問題点として,初心者にはそれぞれの役割が分かりにくかった。
他方,高さ固定を解除する方法が分かりにくいという問題もあった。最近,最大化アイコンを使った輪結をどこかに置くことを考えていたが,知番輪結と同じ機能を別の輪結に持たせると混乱を招く。結局,知番輪結が固定輪結であり特定の輪郭に注目する機能を兼ねている,ということを自然に学べる用合いが望ましい。ということで知番輪結の一部であることが分かるようにした。
これによって,知番輪結の機能が分かりやすくなり,知名輪結との機能の違いも発見しやすくなるだろう。
最近の一日一文で,読者が高さ固定を解除する方法に気付きにくいという問題が尚更気になっていた。動的に解除する手段も考えているが,これはこれで先々でも使えるだろう。
第零番節の省略,自我知番の省略が可能になることで知番が目立たなくなるが,これで丁度良い感じになりそうだ。3月31日の開発で輪郭ページと前後景検索ページの外観が変わらなくなったため,新しい目印としても丁度良い。
まだ若干脳疲労感が残っていたため引き続き半休にした。明日は姪達を預かることになっているので,明日まで半休にして生活律動調整をすることにした。思えばこの上旬だけでも色々なことがあった。「平常心」という言葉を最近よく意識しているが,それくらい冷静でいることが難しい状況だ。
現状,新生デライト開発に迷いは無いし,デライト宣伝の効果にも十分期待出来る。あとは生活律動と適切な時間配分,高進捗を維持出来るかどうかだ。いつものことながら,こういう状況に弱い。一寸先は闇という状況では平然としていられるのに,見通しが良く,あとは地道に努力するだけ,となると急に気持ちがぐらついてくる。それはここまでやって来られた理由でもある。
日々やるべきことをやるだけ。それだけで,2,3ヶ月以内のデライトの完全な成功が視野に入る。それは,世界初の実用的な知能増幅技術の商業的成功であり,とりもなおさず世界史上最大の成功だ。極端過ぎるが,その極端さを狙ったのが希哲館事業発足以来の一夜革命構想なのだ。そんなことを考え出すと,希哲館事業の歴史や自分の人生の歴史までしみじみ振り返ってしまう。
本心では,気楽な生活との別れを望んでいるような望んでいないような,なんとも言えない気分。それに子供の頃から苦手な既定路線。決して得意な状況ではない。ただ,もっと若い頃と違って今は強い義務感がある。やりたいかどうかではなく,やるべきかどうかで考えられる。頑張るしかない。
……色々なことを考えていたら結局夜更かししてしまった。明日はこれを利用して早く寝ることにした。
デライトは,黄金週間初日となる明日29日,4度目の宣伝攻勢(第四次宣伝攻勢)を始める。これを機に,中断していた「一日一文」の日課も再開することにした。
デライトはいま,包括的な改良構想によって「新生デライト」に生まれ変わろうとしている。今回の宣伝攻勢のコンセプトは“新生デライト開発実況”だ。この一日一文も含めて,開発状況や開発者の考えなどについて積極的に発信していきたい。
3度の宣伝攻勢から得た教訓は色々とあるが,4度目の宣伝攻勢を目前にしてつくづく感じていることは,結局,やってみなければ分からない,ということだ。
ソフトウェア開発をやっていると,ここが悪い,あそこが分かりにくいなどといったことばかり考えてしまいがちだ。とりわけデライトは新奇に見える代物なので,開発者も利用者も,“デライトの問題点”について考え込み過ぎる嫌いがある。
問題点を地道に改善していくのは当たり前のことだが,問題点ばかり見ていると,「問題があることが問題」であるかのような錯覚に陥りがちだ。問題のないソフトウェアなど存在しないので,これは「木を見て森を見ず」の罠でもある。広く使われている全てのソフトウェアは,それぞれに問題を抱えながら,それぞれの役割を果たしている。その全体像を見ずに問題の大きさを正しく見ることは出来ない。
そもそも,使いやすい UI,分かりやすい文書……などと全てを兼ね備えた優等生的なソフトウェアが世の中にどれだけあるだろうか。使いにくかろうが分かりにくかろうが,バグだらけであろうが,“使う必要”があれば使われる。それが現実だ。ツールも文書も,必要ならユーザーが作り始める。昔からそうやってソフトウェアは共有されてきた。
そこに革新性があればなおのことだ。誰でも戸惑いなく使える革新的なソフトウェア──そんなものは夢の中にしか存在しない。デライトがそうであれば,私はとっくに世界一の有名人にして世界一の大富豪になっている。冷静に考えれば馬鹿馬鹿しい話だが,知らず知らずのうちにそれに等しいことを考えてしまうのが認知バイアスの怖さだ。
デライトを普及させる上で最大の課題,換言すれば,最も手っ取り早い道筋は何かといえば,デライトが目指していることを理解してもらい,共感してもらい,必要としてもらうことに他ならない。またこういう文章を書き始めた理由だ。
デライトは,よくあるメモサービスに出来るだけ近付けた知能増幅(IA)サービス,名付けて「知能増幅メモサービス」だ。一時期,「最も使いやすいメモサービスを目指す最も使いやすい知能増幅サービス」と表現していたこともあるが,研究室臭いものになりがちなこの種のソフトウェアとしてはすでに驚くほど簡易的で,その点の達成度は決して低くないはずだ。
とはいえ,全く新しい領域を目指している以上,新しいやり方を理解して慣れてもらうしかない部分はどう頑張っても残る。デライト初心者が戸惑いがちなところは,デライトの目的のためにあえてそうしていることが多い。多くの人にとっての分かりやすさだけを基準にして最終的に出来るのは,微妙に使いにくい,よくあるメモサービスだ。レーシングカーの難しさだけを問題視してオモチャの車にするわけにはいかない。
2年ほど前に公開してから,デライトにはそれなりに多くの人が来てくれた。例に漏れず,大半の人は黙って去り,一部の人はサービスの問題点を指摘して去っていった。私が開発者として一番痛切に感じていたことは,そうした問題点を大きく感じさせるほどの利用動機の小ささだった。「ここが使いにくい」などと言い残して去っていった人達が本当に言いたかったことは,「それでもと使うほどの意義を見出せなかった」ということなのだと思う。
事実,デライトの使いにくさや分かりにくさを改善して利用者が増えた試しがない。いま日常的に利用してくれているのは,あらゆる面でいまとは比べ物にならないほどデライトが貧弱だった時期に,どこかで私がデライトについて語っているのを見て,その可能性に興味を抱いてくれた人達だ。
デライトの意義を理解した人にとってデライトの問題は決して大きくない。開発者として,そう確信出来る地点にようやく来られた気がしている。あとは伝え方の問題なのだろう。
もう一つ,商売において陥いりがちな罠に,「生存者バイアス」としてよく知られた認知バイアスがある。成功例の背後にある屍の山に,人は気付きにくい。そして,成功や失敗の要因として語られることは,結果論でしかないことが多い。デライトが成功するもしないも,結局は「運」によるところが大きい,ということだ。
例えば,売れっ子の芸能人がみんな親しみやすく万人受けするタイプかといえば,全くそんなことはない。癖が強く,とっつきにくそうな人も多い。彼らは売れたから「それが良い」と言ってもらえるけれども,同じ特徴を持っていても売れずに「だから駄目なんだ」と言われている人がごまんといる。万人受けしそうなタイプならタイプで,売れなければ「無個性でつまらない」などと言われる。その差は,巡り合わせとしか言いようがない。
勝てば官軍ではないが,デライトの“とっつきにくさ”とされていることも,何かのきっかけで話題になってしまえば“面白さ”になりうる。その程度のことでしかないのかもしれない。
「結局は運」というのは投げ遣りなようでいて,実は非常に前向きな覚悟が必要な考え方でもある。粘り強く試行を繰り返していくこと以上に成功を確かなものにする道はない,ということだからだ。奇跡のような偶然も,サイコロを振り直し続ければ必然に近付いていく。
そしてこのデライト自体,すでにソフトウェア開発における奇跡的な生存例だ。ソフトウェア開発の世界では,デライトよりずっと低い目標を掲げていても,成功どころか動く物すら出来ずに頓挫していくプロジェクトがごまんとある。その中にあって,これだけの大風呂敷を広げ,この品質で実装・運用され,少ないながらも利用者がいて,ちょっとした収益化まで出来ている。こんなサービスは世界を見渡しても他にない。
そんな奇跡がなぜ起きているのか。それはやはり,「粘り続けたから」としか科学的な説明のしようがない。デライト自体は公開から2年を越えたばかりのサービスだが,研究期間を含めると20年近い歴史がある。その全てが無駄なくデライトに結実している。
運を味方に付け,デライトの成功という奇跡を起こすために,ひたすら粘り続ける。これを新生デライトの完成に向けた宣伝攻勢の所信表明としたい。