普通に作業を進めるつもりだったが,いまいち気乗りせず半休にした。結果的に,今週は久しぶりの正しい休養が取れた。
最近,休んでいないこと以上に休めない精神状態が心配だったので安心した。気持ちのゆとりが出てきた証拠だ。
最近,顔付きにも精神状態にもデライト開発に入る前の希哲12年あたりの懐かしいものを感じている。デライト以後の高次化した黄金状態とも異なる,自然で穏やかな黄金状態が続いているような感じで,これはこれで良いものだと思う。
思えば,デライト開発が始まってから,一応の休日はあっても本当に心が休まることなどありえなかった。知らず知らず,気持ちのゆとりが出来ていたようだ。この心境の変化の要因を探ってみると,デライト開発とデライト市場戦略の局面の変化に行き着く。
目先の当努を追いかけながら,個人知識管理サービス市場における小さな波を大きくすることに四苦八苦する,これが長いことデライト開発というものだったが,今は,すぐそこまで来ている SNS 市場の大きな波を待ち構えながら,少しずつでもばら成し良く当努を進めていけばいい,という考え方が出来ている。これを軸に,生活全体がばら成し重視になってきている。
デライト以前の生活への回帰,というようなことは長期戦態勢に切り替えた昨年10月頃から11月頃にも感じていたが,間もなく第三次快調期が始まるなどして慌しくなり持続しなかった。回帰したまま希哲館事業の成功に向けた希望が保てるほどの条件も揃っていなかった(昨年12月21日の日記)。その後,新生デライトが仕上げ段階に入り,第五次デライト市場戦略の方向性が固まったことで条件が揃ったのだろう。
何はともあれ,“デライトのあるデライト以前のような生活”ほど幸福なものはないな,としみじみ思った。
ランニング,サイクリングと運動の機会を増やした甲斐もあって,生き生き,きりっとした良い顔付きが戻ってきた。生活の律動感も少しずつ戻ってきた感覚があり,気持ちよく過ごせた。
13日で色々なことがいったん落ち着いてみると,鏡に映る自分がやけに老け込んだように見えた。このままでは老化が加速していく一方だという危機感から生活習慣改善を最優先にしていたが,それが正しかったことを強く実感した日だった。
特に運動の重要性を再認識した。健康上の課題だった睡眠の質も少しずつ改善している。
ランニングもしっかり継続するため,ランニングシューズを買ってきた。適当なスニーカーではアスファルトを蹴った時の衝撃が強く,足への負担が気になっていた。これで快適に走れるようになった。
ここで健康状態を総点検した。現時点での問題意識は大体こんなところか。
まず,睡眠の質については,深い眠りを得られることが多くなってきたものの,まだ中途覚醒が多い。ここ数ヶ月ほど,就寝中に尿意で覚醒してしまうことがまた増えていたが,運動量が増えたここ一週間ほどは劇的に減った。どうも運動不足による血流の滞りが原因だったようだ。しかし,尿意やかゆみのような身体的な不快感がなくなっても,なぜか何度も中途覚醒してしまう。大抵夢を見ているので,眠りの深さに波があるようだ。
こればかりは,精神的な問題以外考えにくい。心当たりもないわけではない。金風以後,それまで抱えていたある種の問題は一気に解消したものの,ゆとりが出来た分,より重い問題について考える時間が増えた。全体としての精神的負荷はむしろ高まっている。その点では雑務に追われている方がまだマシだった。ただ,これもランニングやサイクリングなどで発散する時間が増え,改善の兆しがある。
4日から精神状態は穏やかで安定しているため,これを「第三次黄金状態」と仮定し,この状態の維持に努めることにした。「新黄金状態」は第二次黄金状態以後の総称として引き続き使っていく。
第三次黄金状態がデライト開発にとって大きな意義を持つとすれば,それは何より「人のため」という考え方を取り戻せたことだろう。人間らしさを失うということは,人のためにならなくても世のためにならなくても良いし,突き詰めれば人間として存在する必要すらないということだ。かつて通った道でもある。
体調記録にもあれこれ書き込んでいるが,今日は生活や健康に関しての調べ物,考え事も多かった。それでも開発はそれなりに進んでいるのだから,やはり強くなっている。
最近,瞼の異常で眼精疲労に注意するようになったが,これを機に,進捗時限法における小休憩時間の使い方も見直した。これまで,小休憩時間は完全に気分任せで過ごしていた。目を休めることを度々意識しては忘れる原因がここにありそうだった。
まず,小休憩時間に入ったら必ずすぐに立つことにした。ここで少し体操をしたり,トイレに行ったり,コーヒーを入れたりして,戻ってから目を瞑って残り時間を待つ。これを逆にやりがちなのだが,それでは残り時間が気になって目を開けてしまうし,落ち着かない。目を瞑ると目だけではなく脳も休まり集中力が回復する感覚は確かにある。加えて,情報遮断で気が散らないようにする効果もあるだろう。
また,歯磨きも個人機の前に座ってあれこれやりながらしてしまう癖があるので,これも鏡の前で位置を意識しながら磨くように今晩から改めることにした。磨き方の偏りによる磨き残し・磨き過ぎを防ぐ。
整理が付かないうちに夜遅くなってしまったため,この日考えていたことを翌日,翌々日に整理して書いている。
昼頃,何気ないことから鎌倉入りの目標を思い出し,持ち辺がまた一段と高まった。鎌倉入りに関しては5月26日の日記でも触れているが,この頃はまだ新黄金状態どころか今後の見通しすら立っていなかったので,全く違う新鮮な感覚だった。
夕方頃になり,極めて興味深い心境の変化を体験した。新黄金状態になってから失っている気がしていた人間らしい感情が戻ってきたのだ。
実は,新黄金状態になってからというもの,感情が冷たく,硬く,乾いたような,無機質な感じになっていることには薄々気付いていた。この前日の日記にも,非常に苛立ちやすくなっていることを記しているが,感情が快か不快かに単純化されているような気がしていた。
新黄金状態,もとい第二次黄金状態というのは,規則正しい生活と健康の上に頭脳の活性化,高い身体感度,高揚感・多幸感などが持続するという状態であり,それは偽りではなかった。確かに,毎日が自然に笑い出したり踊り出したりするほど楽しく,活力に溢れ,仕事も捗る。一見,理想的な状態だ。
それだけ素晴しい状態であれば,仏のように穏やかに,寛容に,慈悲深くなりそうなものだが,不思議と些細なことで苛立つようになり,他人には厳しく冷たくなっていた。まるでサイボーグにでもなったかのように,他者への共感や思いやりを急速に失っていた。
思えば,この新黄金状態における「楽しさ」も,どこか情緒に欠けていた。ただ身体が物理的な理想状態にあるだけで,それを維持するために違和感・不快感を反射的に排除しようとしていたのが例の「苛立ち」だったのかもしれない。最近,痒みが気になることが多く,肌の乾燥に注意していたが,心にも似たような問題があるのではないかという気がした。躁状態に似た傾向があることにも気付いていた。
この心境に変調が見られたのは,この日の夕方頃だった。午後になって熊本の豪雨による被害が報道されだしていた。この時私は,凶事があるたびに憂鬱な気分になっていた過去の経験から,少し災害関連の情報から距離を取ろうとしていた。なにせ,ついこのあいだ金魚が死んで落ち込んだくらいなので,とにかく折角の好調が崩れることを恐れた。ところが,不意に,老人ホームで14人が心肺停止という情報が目に入ってしまった時,少し気分に重石が乗ったような感覚があった。
この少し前,私は父に姪の動画を送っていた。姉が見せていなければ,父が動く孫を見るのは初めてだろう。朝方,飼い犬の花がひどく出血して心配になることもあった。父も花も老人と老犬なので,この時は何かと感傷的になっていたのだと思う。
このあたりから,心に人間らしい潤いと柔らかさ,温かさが戻ってきたように感じた。気持ちも穏やかになり,これまでとは違う,慈愛と熱情が溢れるような快感で満たされるようになった。これまで「新黄金状態」と呼んでいた時の精神状態とは明らかに様子が違い,「第三次黄金状態」という言葉すら脳裏をよぎった。
第二次黄金状態を「真黄金状態」ではなく「新黄金状態」という表現に留めたのは,これで究極なのか,まだ確信が持てなかったからだ。とにかく状態を安定させるために抑制が必要であり,それが人間らしさの排除に繋がっていたのかもしれない。そういう意味では,この変調した状態が第三次黄金状態と呼べるほど安定するかも分からない。
しかし,第二次黄金状態が人間らしさを失うものであれば,私が希哲館事業で目指すことが実現出来ないことも確かだった。超人的な「鉄の心臓」でどれだけ強力に事業を推し進めても,最後に凡人になれなければ私にとっては無意味だ。
第二次黄金状態を得てから,私はこれが,あの閃きの残光であるように何となく感じていたが,この日,確信に変わった。
17歳での閃きから間もなく,私はこの日のこれまでのように世界から遠退いていった。それから長い葛藤期を経て人間らしさを取り戻し,希哲館事業を始める。ちょうどさっき鎌倉入りについて考えたばかりだったこともあり,駆け出しの頃の自分を再体験しているようだった。
とにかく,この体験を可能な限り克明に記録しておきたかったため,この日記は例外的に翌々日までじっくり時間をかけて書いた。前日の日記に書いた「もっと穏やかに過ごせるようにしたい」という望みが次の日には叶ったのだから,それだけの価値はあるだろう。
この日は必達目標としていたデライト離立補完完了を逃したが,代わりに,もっと重大な収穫があった。
「黄金状態」と呼んでいた心身の理想状態に,「超黄金状態」を取り込むことに成功した,という確信を得たことだ。これを「第二次黄金状態」あるいは「新黄金状態」と呼んでおくことにした。
朝,胴体に関しては微肥満がほとんど解消されたように見えたが,反面,顔が妙に浮腫んで見え,肌もくすんで見えた。血行不良のような気がしたため,少し首や肩を回したりしている時,以前試してすぐやらなくなった耳揉みを思い出してやってみると,全身が温まるような感覚があり,頭も冴えてきた。鏡を見てみると,さっきまでの浮腫みが嘘のように取れており,肌にも透明感が出ていた。肌に滞っていた濁ったものが,一気に洗い流されたようだった。
頭も冴え,気分も高揚し,多幸感に満ちてくる,というのも「超黄金状態」と呼んでいた精神状態そのものだ。これまでと異なるのは,これが安定した生活律動と極めて良好な健康状態の中で発現したことだ。
そもそも「黄金状態」というのは,「心身の理想的な(調和)状態」を指して一昨年9月29日に用語化したもので,当初は健康・美容上の目標という感じだった。
それ以前から,私はしばしば精神的な理想状態を経験することがあったが,これは身体的な健康状態を伴わないことが多く,持続性も無かった。古くは閃きから,デルンの実用化,デライト開発の中でもたびたび経験することがあったが,間もなく脳過熱などの問題によって調子を崩していた。
最初のデライト正式離立に取り組んでいた昨年12月1日前後もこの状態に入っており,維持する方法を研究するために「超黄金状態」と呼び始めたことが同月2日の日記に記してある。「超」は,黄金状態を越えているが安定的ではないという意味で付けた。
今年に入り,デライト開発が少し落ち着いた4月頃から生活習慣再改善を始め,5月5日には黄金状態を取り戻し,11日には超黄金状態が一時的に見られた。脳過熱を抑制する方法を「制脳」として体系化し始めたのが5月17日,6月10日から12日まで超黄金状態の持続が見られたが,このときは過食が原因で中断した。
それからも生活律動・生活習慣を整え続け,身体面での問題はほぼ無くなり,制脳などの蓄積も出来たところでの発現だったため,超黄金状態は安定的に再現可能であるという確信が出来た。
これだけ気を付けているので健康は安定して良いことが多いが,いま一つ勢いに欠ける,ということが実は最近の懸念だった。来月20日までにとしているデライト収益化も,このままでは危うい気がしていた。そのため,デライト離立補完が多少延びても新黄金状態の獲得は嬉しい出来事だった。
超黄金状態が安定した時,これが新しい黄金状態になるわけだが,それをどう呼ぶかはたまに考えていた。「真黄金状態」も考えたが,これが最終的な黄金状態であるとは断言出来ない。結局,「第二次黄金状態」を厳密な呼称として,「新黄金状態」を簡単な呼称とすることにした。
なぜ耳揉みで再現出来たのか,についても考えた。これは即効性のある健康法だという噂を見て昨年6月11日にも試していたが,その時はあまり効果が体感出来ず,まじない程度かと思ってすぐにやらなくなっていた。考えてみると,その当時はすでに超黄金状態に入っており,特に必要な状態ではなかったのだろう。目的も,季節柄,自律神経を整えたいという程度のことだった。血行促進が最後の鍵だったのかもしれない。
もう一つ嬉しかったことは,デライト開発に専念し始めた昨年から問題視していた微肥満が,実はただの運動不足だったことが分かったことだ。解消した現在の体型と運動量・食事量が,痩せていた頃とあまり変わっていない。運動不足は明らかだったが,加齢による体質の変化も疑っていたため,もう一つ不安が払拭された。
外出自粛と精神的な余裕の無さで行けてやれなかった花の散歩に久しぶりに行けたのも良かった。これもちょっとした気がかりだった。