「理解」(りかい)とは,自覚されない誤解である。「理解できる」は「表現できる」こと。

{“知能増幅メモサービス”はなぜいま最も重要なのか K#F85E/E74C-CDB9}
人工知能,仮想通貨・暗号通貨,仮想現実・仮想世界……等々,様々な分野が世界的な注目を集める中,これらを凌ぐ潜在力があるにもかかわらず,まともに語っているのは私だけなのではないか,と思えてしまう分野がある。それが「知能増幅」(IA: intelligence amplification)だ。
知能増幅というのは,文字通り,工学的に人間の知能を増幅させることを指す。古くからある研究分野だが,人工知能などに比べてその話題性は著しく乏しい(参考)。この言葉に「人体改造」に近い響きを感じる人は多いだろう。実際,脳にチップを埋め込む,遺伝子を書き換えるといった人体改造的な研究がこれまでの主流で,まず倫理的課題が大きかった。倫理的課題が大きければ技術的課題を解消するための実験などもしにくく,実用段階にある技術が存在しなかった。デライトが登場するまでは,古典的な SF の域を出ず,語れることも大して無かったわけだ。
先日の「デライトの使い方の考え方」で少し触れたように,デライトは,その知能増幅を誰でも簡単に触れるメモサービスとして実現した「知能増幅メモサービス」であり,「世界初の実用的な知能増幅技術」だ。どのように実現しているかはあの文章でざっと書いたので,今回は,この知能増幅メモサービスの意義について書いてみようと思う。
知能増幅の世紀
私は,ビッグ・テックや GAFAM などと呼ばれる世界最大の企業群(Google, Apple, Facebook, Amazon, Microsoft)が合併して「Microappglezonbook」となり,自分がその経営を思うままに出来たらどうするか,という思考実験をすることがある。答えはいつも変わらない。iPhone も Google 検索も Windows も,世界最大の SNS も世界最大の通販サイトも,何もかも売り払って,知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。
最近何かと話題のイーロン・マスク氏と入れ替わったとしても,やることは同じだ。テスラも SpaceX も Twitter も,何もかも売り払って知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。ちなみに,氏の事業の一つには,まさに脳にチップを埋め込む系の知能増幅技術を扱う「ニューラリンク」があるものの,やはり,他の事業ほど目立った成果もなく,あまり知られていない。
つまるところ,あらゆる分野の中で,「知能増幅」が群を抜いて大きな可能性を持っていると私は考えている。これを多くの人が理解すれば,21世紀は間違いなく「知能増幅の世紀」になるだろう。世界初の実用的な知能増幅技術であるデライトは,その嚆矢だ。
知識を生み出す技術
長い前置きに似合わず,知能増幅メモサービスがなぜいま最も重要なのかという本題は,拍子抜けするほど単純明快な話だ。知識が最も価値を持つ時代において,最も価値のある知識は「知識を生み出す知識」であり,最も価値のある技術は「知識を生み出す技術」だからだ。まさにそれを研究開発するのが知能増幅という分野だ。そして,知能増幅メモサービスは,最も実現性の高い,実際にデライトが実現している知能増幅技術なのだ。
例えば,人工知能がいかに発達しようと,それを開発し管理し利用していくのはあくまでも人間だ。人間が愚かなまま機械だけが賢くなっても,人間社会にとってのボトルネックは必ず人間の愚かさになる。知能増幅技術は,人間のあらゆる知的活動を最も根源的な部分から持ち上げる技術であると言える。
……と,この単純明快な話を私がしたのは,昨日今日でもなければ一度や二度でもない。昔から,何度端的に語っても,意図するところが伝わった試しがない。どうもピンと来ていないというのか,大体の反応が「なるほど,で?」という感じだ。理屈はなんとなく理解出来ても,それが意味することの大きさを想像出来ていないのだ。その大きさを先に書いた理由だ。
節穴
思えば,この“ピンと来ていない感じ”というのは,「個人知識管理」(PKM: personal knowledge management)として認知されつつある分野に感じるものと似たところがある。その名の通り,個人が自らの知識を効果的に管理することに関してはすでに色々な方法論や技術が集められている。その代表的な手段として「メモ」があり,メモアプリやメモサービスなどと呼ばれるものも盛んに研究・開発されている。
このメモサービスを知能増幅に結び付けたのが「知能増幅メモサービス」というデライトの位置付けだが,これが,私が思っていたより変わった発想だったらしい,とデライトの宣伝を始めてから気付いた。個人知識管理の技術を発展させていけば,それは当然知能増幅に繋がる。この単純な発想が,意外にも共有しにくい。「デライトではこんな新しいことが出来る」と言っても,「なるほど,でも○○で間に合ってるから」という反応を受けることが多かった。そこには,想像していたよりずっと大きな温度差があった。
このあたりの分野をよくよく観察してみると,開発者にせよ愛好家にせよ,そこまで大きなビジョンを持っている人はほとんどいないことが分かる。要は,「生活術」とか「仕事術」とか「ライフハック」の範疇でしかとらえていない。個人知識管理が知能増幅に繋がり,それが世界を変える,なんて大それたことを考えている人間は,全くいないわけではないだろうが異端者だ。
私の立場からは「節穴同然の眼力」としか言えない分野の体たらくだ。「趣味の問題」で済む話でもない。そう思ったとしたら,ここまでの話が理解出来ていないか,想像力があまりにも足りない。ただただ,一人でも多くの人がこの分野の本当の可能性に気付いてくれることを願って,私は叫び続けている。

{デライトの使い方の考え方 K#F85E/E74C-20C0}
デライトには「使い方」というページがあるのだが,これは最初の頃からまともに更新出来ていない。デライト開発もありがたいことに快調で,いちいち更新していられないほど変化が激しかった。このあたりも近日中に刷新するので,もうしばらくお待ち頂きたい。
もっとも,多くのデライト初心者が躓いているのは,細かい操作方法というより,どういう考え方で使っていくものなのか,という所なのではないかと思う。デライトで躓きやすい「使い方の考え方」について,このあたりで少し補足しておきたい。
デライトは風変わりで慣れが必要なものではあるが,特に難解なものではない。開発者の力不足による不親切さは多々あるものの,あくまで誰でも使えるものを目指している。まずは,ちょっとしたゲームのルールを覚えるつもりで読んでもらいたい。
なぜ「輪郭」なのか
デライトは,個人の知識をよりよく育て,生活の様々な場面で役立ててもらうためのサービスだ。それを突き詰めた結果として,互いに入れ子に出来る「輪郭」という単位で情報を扱う仕組みを持っている。
ここでいう「輪郭」というのも,まずはごく普通の言語感覚で理解してもらえればいい。ある物事の全体を取り囲むもの,という意味だ。もっと具体的にイメージしたければ,手で輪っかを作り,目に見える風景の一部分を切り取って見てほしい。写真の構図を考える時などに似たことをよくやるが,その時に手で作っている輪っかは,世界のある部分の輪郭だ。
その輪郭を,自由に“保存”出来たらどうだろうか。輪郭の中にまた輪郭を作ることも出来る。一つの輪郭は,他の無数の輪郭を含むものであると同時に,他の無数の輪郭に含まれるものになる。そのようにして,“世界を捉える”ことは出来ないだろうか。さらに,この考え方をコンピューティングに応用することで,従来の情報管理が抱えていた問題を解決出来るのではないか。ここからデライトの輪郭という仕組みが生まれた。
例えば,ファイルをフォルダ(ディレクトリ)という入れ物で分類管理する仕組みは広く使われているものの,人間が頭の中で扱っているようには情報を扱えない。一つの物事をどこに分類するかは,見方によっていかようにも変わりうるからだ。これは,一つの情報を一つの入れ物に所属させるような「階層構造」一般の問題(こうもり問題)としてよく知られている。
他方,こうした問題を解決するため,より柔軟な「ネットワーク構造」(グラフ構造とも)を利用した仕組みも広く使われている。Wikipedia などで利用されているウィキはその代表例だ。ウィキは,ウェブのハイパーリンクという仕組みを最大限に活かし,縦横無尽にリンクを張り巡らしながら情報を整理出来るように設計されている。しかし,こうした技術も万能ではない。柔軟な分,散漫・乱雑になりがちで,焦点を絞って情報をまとめることには向いていない。
輪郭による「輪郭構造」なら,両方の利点を上手く共存させることが出来る。輪郭はいわば「宙に浮いている輪っか」なので,階層構造を持つフォルダのような入れ物とみなすことも出来るし,輪郭同士の関係はネットワーク構造のように柔軟だ。以前適当に作った雑なものだが,下図を見ればなんとなくは分かるかもしれない。
まとめながらつなげる
一般に,階層構造は少量の情報を明確にまとめることに向き,ネットワーク構造は多量の情報を緩やかにつなげることに向く。
ウィキなどで作られる情報のネットワーク構造は,しばしば,脳の神経細胞群が作る構造に似ていると言われる。情報同士のネットワーク状の結び付き,という大きな括りではその通りだ。しかし,脳はただ漫然とネットワークを広げているわけではない。脳科学・神経科学でも,神経細胞の結び付きには強度差があると考えられている。つまり,脳は優先順位を整理しながら情報をつなげている。「輪郭」を使ってデライトが再現しようとしているのは,この「まとめながらつなげる」脳の機能だ。
進化の観点から考えれば,動物の脳は,環境に合わせて情報を蓄積し,状況に合わせて有用な情報を素早く引き出せるように出来ていなければならない。もちろん生存のためにだ。どれだけたくさん情報を蓄えられても,必要な時に上手く引き出せなければ意味が無いわけだ。大昔から限界が知られている階層構造が,それでも必要とされ続けているのは,情報に優先順位を付けて整理していく,という脳の機能がとらえやすい構造だからだ。
個人知識管理(PKM)の分野でも,ネットワーク構造を活かしたウィキと並んで,階層構造で情報を整理していくアウトライナー(アウトライン プロセッサー)と呼ばれるものがよく使われている。非常に興味深いことに,この二つを抱き合わせたツールが近年のトレンドの一つだ(Roam Research,Obsidian など)。
脳の進化を追うようにツールも進化しているが,デライトが革新的なのは,既存の仕組みを抱き合わせるのではなく,全く新しい一つの仕組みで脳の機能を十分に再現しているからだ。慣れた利用者にとっては,その単純性がこれまでにない直感性につながる。同時に,初心者には分かりにくさの原因となってしまっている。
デライトには「脳のログ」が流れている
デライトは,“人間が触りやすいように”脳の機能を再現することに,どのツールよりも徹底したこだわりを持っている。人の脳は,長い長い進化の過程で無数のテストを通過してきた,情報処理ツールのお手本だ。その脳を使って活動している人間にとって,最も直感的に扱えるのは最も脳に似ているツールだ。そして,保存・検索・共有といった部分での脳の弱点を機械が補えば,これまで不可能だったような高度な知的活動が可能になる。
デライト上に流れている無数の輪郭が,いわば「脳のログ」であることを理解すると,初心者を面食らわせてしまっている部分の多くも理解しやすくなるのではないかと思う。
公開されることもあって,どのような内容をどのくらいの頻度で“描き出し”していいものなのか分からない,というのはデライト初心者が抱きやすい感想だろう。この点においてデライトは,活発なチャットやマイクロブログ(Twitter など)の速さで投稿(輪郭)が流れていくイメージで設計されている。それも,「廃人」達の独り言で埋め尽くされているチャットのような状態を想定している。脳のログならそうなるはずだからだ。
デライト上には,一見意味不明な輪郭も数多くある。脳のログだと考えれば,これもむしろ自然なことだと言える。デライトは,“綺麗に整えたメモ帳”を見せるためのサービスではない。頭の中にある情報を,ありのままに可視化することに意味がある。他人の輪郭を見るということは,他人の頭の中を覗いているようなもので,めまいを覚えるなら正常なのだ。
それでも,ちょっと気になった他人の輪郭から良い刺激が得られることは珍しくない。自分の輪郭を他人の輪郭を絡ませることも出来るので,デライトでは面白い知的交流が日々生まれている。疑似的に再現された脳同士が対話しているわけで,これは疑似的なテレパシーと言えるかもしれない。
新しい順に輪郭が並んでいるのも,もちろん脳のログだからだ。先日の一日一文でも書いたように,デライトは,Twitter のようなマイクロブログにも似ている。そして,マイクロブログはしばしばメモツールとして利用されている。これは,時間軸に沿って記憶を辿るような脳の機能に似ているからだ。
デライトでは,マイクロブログ感覚で思いつくままに輪郭を作り,時にはウィキのように,時にはアウトライナーやマインドマップのように,“まとめながらつなげていく”ことで「脳のログ」を可能にしている。
例えば,釈迦,孔子,ソクラテス,キリスト……あるいはカントでもアインシュタインでも誰でもいいが,後世の人間は文献からあれこれ推測するしかない「偉人」達の記憶が,このような形で残されていたら,と想像してみてほしい。百年後,千年後の人々にとって,「輪郭」は古人について知る何よりの手がかりとなるだろう。あなたにとって偉人以上に大切な人生の記憶をこれほど強く世界に刻み込める道具は他にないのだ。
そして知能増幅へ
工学的に人間の知能を向上させようという研究分野は,古くから「知能増幅」(IA: intelligence amplification)と呼ばれている。今や世界的な流行語である「人工知能」(AI)に比べて,語られることは非常に少ない。脳にチップを埋め込む,遺伝子を書き換えるなど,どの技術にも大きな技術的・倫理的課題があり,実用段階になかったからだ。
デライトは,それを誰でも使えるメモサービスという形で実現している「知能増幅メモサービス」であり,「世界初の実用的な知能増幅技術」だ。今後の一日一文では,この技術の歴史的重要性についても書いていきたい。

{第四次宣伝攻勢に向けて K#F85E/E74C-668D}
デライトは,黄金週間初日となる明日29日,4度目の宣伝攻勢(第四次宣伝攻勢)を始める。これを機に,中断していた「一日一文」の日課も再開することにした。
デライトはいま,包括的な改良構想によって「新生デライト」に生まれ変わろうとしている。今回の宣伝攻勢のコンセプトは“新生デライト開発実況”だ。この一日一文も含めて,開発状況や開発者の考えなどについて積極的に発信していきたい。
森を見て木を見る
3度の宣伝攻勢から得た教訓は色々とあるが,4度目の宣伝攻勢を目前にしてつくづく感じていることは,結局,やってみなければ分からない,ということだ。
ソフトウェア開発をやっていると,ここが悪い,あそこが分かりにくいなどといったことばかり考えてしまいがちだ。とりわけデライトは新奇に見える代物なので,開発者も利用者も,“デライトの問題点”について考え込み過ぎる嫌いがある。
問題点を地道に改善していくのは当たり前のことだが,問題点ばかり見ていると,「問題があることが問題」であるかのような錯覚に陥りがちだ。問題のないソフトウェアなど存在しないので,これは「木を見て森を見ず」の罠でもある。広く使われている全てのソフトウェアは,それぞれに問題を抱えながら,それぞれの役割を果たしている。その全体像を見ずに問題の大きさを正しく見ることは出来ない。
そもそも,使いやすい UI,分かりやすい文書……などと全てを兼ね備えた優等生的なソフトウェアが世の中にどれだけあるだろうか。使いにくかろうが分かりにくかろうが,バグだらけであろうが,“使う必要”があれば使われる。それが現実だ。ツールも文書も,必要ならユーザーが作り始める。昔からそうやってソフトウェアは共有されてきた。
そこに革新性があればなおのことだ。誰でも戸惑いなく使える革新的なソフトウェア──そんなものは夢の中にしか存在しない。デライトがそうであれば,私はとっくに世界一の有名人にして世界一の大富豪になっている。冷静に考えれば馬鹿馬鹿しい話だが,知らず知らずのうちにそれに等しいことを考えてしまうのが認知バイアスの怖さだ。
最大の課題
デライトを普及させる上で最大の課題,換言すれば,最も手っ取り早い道筋は何かといえば,デライトが目指していることを理解してもらい,共感してもらい,必要としてもらうことに他ならない。またこういう文章を書き始めた理由だ。
デライトは,よくあるメモサービスに出来るだけ近付けた知能増幅(IA)サービス,名付けて「知能増幅メモサービス」だ。一時期,「最も使いやすいメモサービスを目指す最も使いやすい知能増幅サービス」と表現していたこともあるが,研究室臭いものになりがちなこの種のソフトウェアとしてはすでに驚くほど簡易的で,その点の達成度は決して低くないはずだ。
とはいえ,全く新しい領域を目指している以上,新しいやり方を理解して慣れてもらうしかない部分はどう頑張っても残る。デライト初心者が戸惑いがちなところは,デライトの目的のためにあえてそうしていることが多い。多くの人にとっての分かりやすさだけを基準にして最終的に出来るのは,微妙に使いにくい,よくあるメモサービスだ。レーシングカーの難しさだけを問題視してオモチャの車にするわけにはいかない。
2年ほど前に公開してから,デライトにはそれなりに多くの人が来てくれた。例に漏れず,大半の人は黙って去り,一部の人はサービスの問題点を指摘して去っていった。私が開発者として一番痛切に感じていたことは,そうした問題点を大きく感じさせるほどの利用動機の小ささだった。「ここが使いにくい」などと言い残して去っていった人達が本当に言いたかったことは,「それでもと使うほどの意義を見出せなかった」ということなのだと思う。
事実,デライトの使いにくさや分かりにくさを改善して利用者が増えた試しがない。いま日常的に利用してくれているのは,あらゆる面でいまとは比べ物にならないほどデライトが貧弱だった時期に,どこかで私がデライトについて語っているのを見て,その可能性に興味を抱いてくれた人達だ。
デライトの意義を理解した人にとってデライトの問題は決して大きくない。開発者として,そう確信出来る地点にようやく来られた気がしている。あとは伝え方の問題なのだろう。
結局は運
もう一つ,商売において陥いりがちな罠に,「生存者バイアス」としてよく知られた認知バイアスがある。成功例の背後にある屍の山に,人は気付きにくい。そして,成功や失敗の要因として語られることは,結果論でしかないことが多い。デライトが成功するもしないも,結局は「運」によるところが大きい,ということだ。
例えば,売れっ子の芸能人がみんな親しみやすく万人受けするタイプかといえば,全くそんなことはない。癖が強く,とっつきにくそうな人も多い。彼らは売れたから「それが良い」と言ってもらえるけれども,同じ特徴を持っていても売れずに「だから駄目なんだ」と言われている人がごまんといる。万人受けしそうなタイプならタイプで,売れなければ「無個性でつまらない」などと言われる。その差は,巡り合わせとしか言いようがない。
勝てば官軍ではないが,デライトの“とっつきにくさ”とされていることも,何かのきっかけで話題になってしまえば“面白さ”になりうる。その程度のことでしかないのかもしれない。
「結局は運」というのは投げ遣りなようでいて,実は非常に前向きな覚悟が必要な考え方でもある。粘り強く試行を繰り返していくこと以上に成功を確かなものにする道はない,ということだからだ。奇跡のような偶然も,サイコロを振り直し続ければ必然に近付いていく。
そしてこのデライト自体,すでにソフトウェア開発における奇跡的な生存例だ。ソフトウェア開発の世界では,デライトよりずっと低い目標を掲げていても,成功どころか動く物すら出来ずに頓挫していくプロジェクトがごまんとある。その中にあって,これだけの大風呂敷を広げ,この品質で実装・運用され,少ないながらも利用者がいて,ちょっとした収益化まで出来ている。こんなサービスは世界を見渡しても他にない。
そんな奇跡がなぜ起きているのか。それはやはり,「粘り続けたから」としか科学的な説明のしようがない。デライト自体は公開から2年を越えたばかりのサービスだが,研究期間を含めると20年近い歴史がある。その全てが無駄なくデライトに結実している。
運を味方に付け,デライトの成功という奇跡を起こすために,ひたすら粘り続ける。これを新生デライトの完成に向けた宣伝攻勢の所信表明としたい。

{希哲16年2月22日の日記 K#F85E/E74C-DF75}
今日はそれなりに利楽出来,デラングの周縁的な検討などをしながらゆっくり過ごした。
最近,特にデラング的転回以後,デラング整備が何か大きな扉を開こうとしているような感覚が日に日に強くなっている。
意味記述から意味管理へ,という閃きの順序が,デライト理解の最適な順序でもあると確信出来るようになった。デラングは「閃きの追体験」を可能にするだろう。
デラング整備によって,希哲館技術体系もようやく世に出す機が熟しつつある。知番文書も必要になるし,Dex を公開するなら Cμ の公開も必要になる‥‥と,芋蔓式に引き出されていくだろう。その背景にある希哲館事業の全貌が照らし出されるのも時間の問題だ。
デラングを中心としたことで事業全体がぐっと引き締まり,あらゆる面で整理しやすくなったようにも感じる。
輪郭法から,デルン,デライト,デラングと段階的に焦点を絞り込むようにここまで来たが,この調子だとデライト一夜革命というより「デラング一夜革命」になりそうだ。

{希哲16年2月15日10歩 K#F85E/E74C-2CA8}
昨日,寝る直前にまた脳爆発があり,今朝にかけて文字装飾記法とタグ記法周りの概念整理・仕様整理が急速に進んだ。
文字装飾記法は,「文字装飾を伴う慣用表現」のための記法と位置付けることにした。太字記法(##
),斜体記法(//
),下線記法(__
),打ち消し線記法(~~
,翌日のまとめで「打ち消し記法」から改称)の4記法を基本とし,それぞれ所定装体を伴う <b>
,<i>
,<u>
,<s>
HTML 要素に対応する。
@
を使った文字サイズ記法,%
を使った色記法も検討していたが,タグ記法の概念が出来たことで中途半端なものになるため,これは廃案とする。
検討過程
3つの検討方針
実装自体は容易な部類で,記法も概ね固まっていたにもかかわらず文字装飾記法の実装に踏み切れなかった理由として意味論的な問題があり,これが思いのほか難題だった。実装方針は3通り考えられる。
記法の趣旨からしても,軽量標記言語の特性を考えても,1つ目に無理があるのは明らかだ。対応する HTML の <b>
,<i>
,<u>
,<s>
は,私が何度解説を読んでもややこしく感じる代物だ。それを多くの人が正しく理解して使うのは不可能だろう。そもそも「文字装飾記法」という分かりやすい説明体系を捨てることになるが,代替案があるわけでもない。
かといって,2つ目ももったいない。要は <span>
で装体指定だけにするということだが,例えば,太字にはしたいが <b>
にはしたくない場合,打ち消し線は引きたいが <s>
にはしたくない場合がどれだけあるのかと考えると,無難を通り越して臆病過ぎる。失う可接性や応用可能性と釣り合わない。
最終的に採用することになった3つ目も,全く考えなかったわけではないが,柔軟性に欠け,前の2つの悪い所が組み合わされる気もして,有力案にはなっていなかった。
タグ記法による書き分け
この膠着状態を変えたのは,前日に概念としてまとまったばかりのタグ記法だった。
これまで,デラングにおける HTML は,どうしてもデラングで出来ない表現をしたい場合などの“抜け道”とか“救済措置”に近い位置付けで,積極的に使うことを想定していなかった。実際,個人的にはほとんど使っておらず,放置している不具合も多い部分だった。
デラングのタグ記法として間接的に HTML を使うことで,略記法の導入も可能になり,HTML 側の仕様変更に対しても一定の緩衝帯を設けることが出来る。ここに来て初めて,文字装飾記法でも「書き分け」が考えられるようになった。文字装飾記法に対応しうるのが全て1文字要素だったことも幸いした。
昨日の寝る直前に,##太字的な表現##
と <{font-weight:bold}>太字</>
のように書き分けるよりも,##太字##
と <b>太字的な表現</b>
のように書き分ける方がマシであることに気付いて,1つ目の実装方針案は完全に潰せた。
これにより一時的に2つ目の実装方針案が再浮上したが,標準的に使う記法として標準的な用途に最適化不足なのはやはり否めなかった。
決着
最終的に,「文字装飾を伴う慣用表現」という用者が自然に理解出来る範囲での意味論的な位置付けを与え,逸脱する用途ならタグ記法で書き分けるのが使用頻度に対して最適だろうという結論に達した。3つ目の実装方針案を洗練させた格好になる。
例えば,##太字##
は「太字装体の <b>
」に対応する。装体が邪魔なら <b>太字的な表現</b>
と書けるし,意味が邪魔なら <{font-weight:bold}>太字</>
(略記法は検討段階)のように書けるが,これらの場合が稀少なのは明らかで,記述量に上手く釣り合う。ワープロならともかく,軽量標記言語を手書きしようという人にとって難しい使い分けではないだろう。
そもそも,<b>
,<i>
,<u>
,<s>
は,古くからある視覚的要素が HTML5 で慣用的な用途を引き継いで意味論化されたものなので,「文字装飾を伴う慣用表現」と非常に相性が良い。相互変換にも全く問題ない。
何より,直感的に入力すれば構造的に出力されるというデラングの理想に適っている。
文字サイズ記法・色記法は廃案へ
文字装飾記法を「文字装飾を伴う慣用表現」と位置付けたことで,慣用表現を持たない文字サイズ記法・色記法は仲間外れになるが,タグ記法によって出る幕がなくなった感があるので,ここで廃案にすることとした。
第一に,タグ記法で略記法を整備した方が一貫性も応用可能性も高い。特定の値でプロパティを省略出来るようにし,<{white}>白い文字</>
のように書ければ,%white%白い文字%%
と書くのと記述量も大差ない。
もともとパラメーターを必要とする記法の異質感はあり,文字装飾記法の統一感を損うかという懸念はあったので丁度良かった。
波及的検討
組み合わせは「逆」ではなく「入れ子」へ
これまで,複数の文字装飾記法の組み合わせは #/太字と斜体/#
のように,「記号を1つずつ逆さにした終了記号と挟む」といったややこしい説明を考えていたが,##//太字と斜体//##
のような「入れ子」を #/太字と斜体/#
と短縮出来るという考え方にした方が分かりやすいため改めることにした。
タグ記法の発展
今回の検討で,タグ記法が早くも実践的な役割を持つことになり,デラングにおける存在感が一気に増した。
タグ記法に HTML の仕様変更に対する緩衝的な役割を持たせること,要素名の省略で <span>
にすることを考え始めた。
