最近,思い出話のような一日一文が続いているので,どの部分についてでもなく,希哲館事業全体についての思い出を書いてみたくなった。漠然とした思い出話を成り行き任せで書いてみよう。
思えば,17歳の時に輪郭法を閃き,もう30代半ばだ。輪郭法の閃きが希哲館事業の原点で,大人と言える年齢が18歳だとすれば,少年時代の最後から今にいたるまで,私はこの事業とともに歩んできたことになる。閃き以前より以後の人生の方が長い。そういう意味では,“人生そのもの”と言っても過言ではない。
もっとも,スポーツのような分野ならともかく,実業や研究のように蓄積が物を言う世界で10年や20年なんて大した歳月ではない。ひよっこに毛が生えたようなものだろう。そう考えると,20年足らずでよくここまで来れたものだ,という気もする。
輪郭法というのはデライトの基礎にもなっている理論で,脳の認知機能を「立体階層構造」として勘報(コンピューティング)で利用出来るように形式化するものだ。
これが情報技術を大きく変えうるものである,とすぐに気付いた。そこまでは良かった。それだけなら,ビル・ゲイツのように大金持ちになって万歳,というだけの話だ。
この理論とその応用技術はそれだけでは終われない,ということに気付くのにも時間はかからなかった。これは人類のあり方を一変させる技術になる……後に「世界初の実用的な知能増幅(IA)技術」という言葉で表現することになるこの技術は,明確な哲学に基く「新近代化事業」の一環として捉える必要がある。希哲館事業構想の始まりだ。
その当時とは比べ物にならない経験・知識・技術・資産を持つ今ですら,この構想の全体について考えると気が遠くなりそうだ。当時の私が背負えるわけもなく,当然ながら精神的な混迷に陥った。
それからなんだかんだあり,希哲6(2012)年にはデルンが出来,希哲館事業構想は成熟し,希哲館訳語のような蓄積も出来,昨年にはデライトも始めることが出来た。そして今,デライトの成功は目の前だ。
家族からデライト用者にいたるまで,多くの人に助けられて今がある。これだけの構想を背負って,晴れ晴れとした顔でのうのうと暮らせているだけで奇跡のようなことだろう。
これからも感謝とともに歩み続けよう。