{実質 K#F85E/A-2510-8388}

定休日なので利楽して過ごした。ここしばらく,休日といっても何かしら作業をせずにいられなかったが,この日は久しぶりにぼーっと出来た。
金風以後,事務的な問題は片付きつつあるが,それよりも,人生設計や人生観の問題にまで波及しているのがなかなか重たい。とにかく色々なことをしみじみと考えてしまう。
特に急浮上していたのが「鎌倉問題」だった。発足から間もなく出来た鎌倉本館構想とともに私と希哲館事業は歩んできた。これを抜本的に見直す必要を感じていた。
2時間ほどぶらぶら散歩をしながら考えた結果,浦安分館を浦安本館に,鎌倉本館を鎌倉分館に,希哲館本館の位置付けを交代させることにした。
希哲館事業にとっては画期的な方針転換だが,意外にもあっさり決断出来た。環境に対する認識の変化,事業の足回りに対する意識の高まり等,この十余年の積み重ねがあったところで,金風が決定打になったのだろう。気付けば,鎌倉にこだわる理由も無くなっていた。最初の開拓者精神を思い出せば尚更だ。
3月頃に鎌倉の物件探しから鎌倉本館構想が再燃したが,これがかえって構想の寿命を縮めた気がする。より現実的に考えるようになったことで,より現実的な問題が浮かび上がってしまった。
浦安を最重要拠点の一つと位置付けている以上は,鎌倉に移っても頻繁な往復をすることになる。いずれにせよ,交通網や経済基盤の観点から浦安の方を軸にせざるをえない。日本橋の経験を踏まえても,鎌倉に限らず,今の環境以上に希哲館事業に適した環境は考えにくい。鎌倉分館や別荘などを通して鎌倉との繋がりは持てるし,名目と実質を一致させただけで,実際に出来ることは大差ないのかもしれない。
早速,久しぶりに思い出した娃天地区構想も含めて,鎌倉本館構想から浦安本館構想への再構成を始めた。
そろそろ新生デライトの実装作業に本腰を入れないとまずい,と今後の組計をざっと見通してみて,少し驚いた。
9月中に決着をつけるか10月の延長戦に持ち込むかを9月10日に決めるとして,残り17日間。今月の雑務処理に明日1日使うため,実質16日間ある。今月初めから実装作業に没頭して9月中頃に新生デライトの完成という見通しだったことを考えるとずいぶん圧迫されたようだが,不思議とまだゆとりを感じている。
作業方針や組計の整理,開発環境整備や諸検討の大きな進展等々によって,月初とは比べ物にならないほど新生デライト開発の見通しが良くなっているからだろう。今月の雑務処理にしても,月初には5日程度を見ていたが1日に短縮出来た。ちょうど過ごしやすい季節になりつつあり,これまでが良い夏休みだったような気さえしてきた。
この状況なら,今後16日間での新生デライトの完成も収益目標達成にも十分期待出来る。多少の計算違いがあっても吸収出来る程度のゆとりもある。現状を踏まえると,完璧に近い組計だ。これを脳が無意識下で整えていたと思うと,やはり不思議な気分だ。
多少の懸念はある。ただの事故は無視するとしても,まだ脳の暴走は起こりうる。とはいえ,勝手なことはよくしても,間違ったことはほぼしなかった脳だ。想定外の方向に走るとしたら,それがより良い道だからだろうと思える。
最近の「脳任せ」ぶりについて考えていたら,デルンの実用化を果した頃のことを思い出した。9年前の今頃も,もう意識的に整理出来ない量の情報を脳に詰め込み,「決壊」させ,生理的な回復機能を利用して再組織化させようとしていた。
その混沌からデルンが誕生したわけだが,9年後にこんな形で希哲館事業が発展しているとは想像出来なかった。そういう意味では,ずっと不思議な道程で来ている。想定外なんて今更な話だった。
かつての成功体験を思い出したことも,良い兆候だと思っておこう。
昨日から妙に気分がぐらぐらしているというか,気持ちに身体が付いてきていないような感覚があった。この日も急に気分が高揚したと思ったら急にぐったりするなどして,明らかに呼吸が乱れている様子だった。
昨晩の就寝中,軽い胸痛を覚えて少し寝苦しかった。一昨日「デライトは数ヶ月以内に成功確実」などと喜んでいたのだから,体調が良くなる心当たりはあっても悪くなる心当たりはなく,珍しいことだが気のせいだろうと最初は思っていた。
結局,日中もいまいち調子が出なかったため,作業はほどほどに,じっくり状況と気持ちを整理することにした。
すでにデライト開発は十分な持続性を確保し,仮にずっと収益目標達成が出来なくても死活問題にはならない,という状況にあった。
しかし,デライトの成功ではなく“希哲館事業の成功”を考えれば悠長なことはしていられない。多少のリスクを負っても早期に収益目標を達成しなくてはならない。その思いから11月1日としていた必達期限を5月1日に繰り上げ,短期集中生活に入ったのが先月28日だった。
この短期間に多くの成果を得て,さあこれから正念場だという時に,負っていたはずのリスクが消し飛んだ。6月末あたりまで,あと2ヶ月はこのままの態勢で問題なくデライト開発を続けられることになった。一昨日,27日に起きたのはそういうことだった。
多少の不安はありつつ,5月1日までの収益目標達成にもそれなりの勝算があった。その猶予が2ヶ月近く延びれば,達成出来ないことを想定する方が難しい。必達期限を繰り上げる前より4ヶ月以上早い達成見込みが出来たことにもなる。
安全・着実に歩を進めていては達成出来るのが数年後になるかもしれない,という見込みだったから多少の無理にも意味があった。その数年が2ヶ月以内になるなら,この数日にデライトの成功を賭ける意味は全く無い。
1日までは既定路線で頑張ろうという気持ちに反して,妙に脱力感が強いと思ったが,なるほど勝手に肩の力を抜いた身体の方が正しい。
ここで,デライト収益目標における必達期限の再設定をどうするか考える必要に迫られた。
黄金週間の最終日まで延長するか,6月末まで延長するか……等あれこれ考えた結果,期限に関してはいったん白紙化,当面はこのままデライト高速化を中心に第三次宣伝攻勢を「無期限」で継続することにした。
そもそも,これまでの努力期限や必達期限というのは,先行き不透明な目標に対して,最大限努力するように方向付けるためのものだった。その必要を全く感じないほど視界は良好だ。これまで視界を遮っていた霧が一気に晴れ,すぐそこに目標が見えているように感じられる。
もっとも,気を抜き過ぎたり,天変地異や事故のような予測しえない事態に煩わされたり,万が一のことが無いとは言えない。6月末までの収益目標達成は,選挙でいえば「当選確実」に近い確度だ。理論上絶対とは言えないが,現実的には達成とみなして良いほどの確かさ,ということになる。
そして,現状を総合すれば,収益目標達成はそのままデライトの成功と言える。つまり,デライトは「成功確実」の状態にあり,希哲館事業の成功に向けた確かな足掛かりが出来たことになる。
絶望的な悲観から希哲館事業を始め,あらゆる極限状態を想定して超高効率経営・運用体制を作り上げてきた自分が,ここまで状況を楽観視していることに自分でも驚く。14年に及ぶ希哲館事業の歴史でも初めてのことだ。だから自分自身でこの判断に疑いの余地は無い。
特に今年に入ってからというもの,急激な状況と心境の変化を繰り返し,何度目が回ったか分からないが,これは特大かもしれない。
今月中旬からの高速化を中心としたデライト開発,24日からの第三次宣伝攻勢が非常に上手く噛み合い,安定感が出てきたこともこの確信に大きく寄与している。
特に第三次宣伝攻勢に関しては,もともと新生デライトを形にしてからという計画だったのを済し崩し的に開始した上,開始時期も予定より3日ほど遅れたことで,当初は成り行きに不透明感があった。
始めてみると想像以上に手応えが良く,懸念は早々に払拭することが出来た。まだ活動用者の増加には十分繋がっていないが,しばらく停滞していた登録自我数も早速伸び始めている。
黄金週間を狙った作戦も大当たりだったようだが,高速化を中心として臨機応変に作業を進める方針への転換も,想定外の好状況を導いたという点で大当たりだ。高速化前の現状整理が功を奏した。
一日中雨で散歩が出来なかったこともあり,約2ヶ月ぶりに陶練を再開した。とはいえ前回も久しぶりの再開で一日で終わっているので,流石に体力がかなり落ちているのが分かった。
これからは高位安定で進捗を出し続けることが重要になるため,これまで以上に規則正しい生活を心掛ける。
ここまでの思考を書き出すには夜遅過ぎたので,まとめるのは明日にしてさっさと寝ようという頃,この日記は実質の「デライト成功宣言」になるかもしれない,と思った。