開発ではようやく輪郭選り手抜控機能整備が一段落した。収穫も多大だが,昨年から一番中途半端に引きずってきた当努だったため,気持ちの区切りとしても大きく,非常にすっきりした。

{希哲16年5月23日の日記 K#F85E/A-E74C-EB67}
`Aejs_DG_rev`
}{長期的視野に立って}{更新方法}...
{希哲16年5月23日の開発 K#F85E/A-E74C-8D2F}
輪郭選り手抜控機能整備を概ね終え,ようやく出振るい出来た。追い追い修正していけばいい程度の軽微な不具合はいくつか見つかったが,抜控機能整備についてはここで一段落とすることにした。
この出振るいにより,中途半端な実装だった輪郭選り手抜控機能に一通りの機能が揃った。下書き抜控一覧も使えるようになり,抜控の把握が容易になった。予てから欲しかった新規描出フォームの消去・復元ボタンも抜控の削除のため追加した。18日の開発で実装した描写拡縮ボタンも使えるようになった。また,周辺の交度整理も大きく進み,理腑としての意義も大きかった。
利便性・信頼性の向上はもちろんのこと,昨年から中途半端な状態で引きずってきた当努が片付いたことによる精神衛生上の効果も大きい。昨年来の他の当努は本格的に着手していないか,着手して間もないので,ここから思考を整理しやすくなる。
抜控機能整備が長引いた最大の原因は,他にやりたいことが多過ぎたことだが,これ自体も決して簡単な作業ではなかった。ただ,この間に設計方針が変わったり深刻な不具合に気付いたりしたので,時間をかけたことで円滑に片付いた面もある。
再描出は知番でいいとして,新規描出の鍵をどうするか,というのは難しい問題の一つだった。昨年7月28日6歩から検索語を鍵に含めるようにして悪くなかったので,基本的にこれを踏襲することにした。ただし,全知検索窓から未送信の検索語まで取っていたため,これを書き換えると意図せず他の抜控を上書きしたり消去してしまう可能性があった(4月28日20歩で書いた消失不具合の原因だろう)。これは求頼文字列から取ることで回避した。
下書き抜控一覧についても,表示条件や領当てなど色々考えることが多かった。検討の結果,再描出下書きは,検索語無しの場合(上部メニュー同様)のみ輪郭一覧の上に表示(画面撮り),新規描出下書きは,他の抜控がある場合のみ新規描出フォームの上に常に表示させることにした(画面撮り)。邪魔になり過ぎない程度に気付きやすい。また,4月10日の開発で決めた通り,一覧は省略などせずにそのまま表示することにした。描写部のように高さ固定することも考えたが,やはり,用合いの複雑化と抜控を溜め込み過ぎる懸念があるため見送った。抜控の溜め込みは性能低下,消失リスクの増大(あるいはそれを補う作業コストの増大)に繋がる。目障りになったら消化するようにしてもらいたい。
一番難しかったのは鍵仕様の設計だった。一応,鍵仕様変更時の更新方法は考えていたが,手間を考えるところころ変えるわけにもいかないので,長期的視野に立って設計する必要があった。これもなんとか落とし所が見つかった。一時,鍵に仕様変更日時を含めることを考えていたが,これは複雑化を招くだけなので廃案とし,Aejs_DG_rev
に判別用の文字列を入れておくことにした。新規描出下書き抜控の鍵には自我知番を含め,自我の切り替えにも対応した。
その他,これまで描写のみ保存していたのを知名にも対応する,消去ボタン・復元ボタンを実装する,などこまごまとした問題を片付ける必要があった。
出振るい後,軽微な不具合がいくつか見つかったが,一番気になったのが,鍵仕様の更新処理の失敗だった。領下で十分な手定めをしたつもりだが,本番環境では一部の鍵が1回の処理で更新出来なかった。結果的に,3回実行する必要があった。開発者通類で localStorage の内容を見ても交度を見返しても心当たりがない。
少し迷ったが,時間が経つにつれ重要性が急速に低下する部分なので,調査は打ち切ることにした。最も使用頻度の高い私や常連用者達が出振るい後も普通に使えていることから,深刻な問題は発生していないと判断した。今後,同様の処理を書く際の注意点として記憶しておく。

{希哲16年5月20日の日記 K#F85E/A-E74C-5438}
朝から絶好調だった。開発もよく捗った。最近,一応7時30分頃には目が覚めるが,ちょっとした家庭の事情もあり,だらだらして10時過ぎから活動を始めることが多かった。今日は久しぶりに早起きしてきびきび過ごせた。これを継続出来れば理想的だ。
やはり,この一週間における心境の変化の分析から,「新生デライトの完成」と「デライトの完全な成功」を切り分けて考えるようになったことが大きい気がする。これまでは心の全体で適度な緊張感を保つことを意識していたが,特に第四次宣伝攻勢以後,これが難しくなったように感じていた。宣伝攻勢開始当初は力み過ぎたような気がしていたが,利楽してみると今度は弛み過ぎるような気がしていた。
それからこれまで,決して悪くはなかったが,思い描いていたように絶好調な日はほとんど無く,調子に波があった。
利楽していいことと緊張感を持つべきこと,極端な二つの問題意識が混在している状況で緊張感を等分しようとすると,必ず過不足が生じる。結果として,疲れ過ぎたり弛み過ぎたりする。要は,心の利素配分の問題だ。
依然として新生デライトへの期待は大きいが,それはそれとして,デライトの完全な成功には予断なく臨むべきだろう。新生デライトの完成はあくまでも通過点だ。その先を意識するようになったことで,新生デライト開発も適度に引き締められている。
この時期にあって非常に大きな気付きだが,一日一文を書いていなければこれも無かったのかと思うと不思議な気分だ。

{希哲16年5月18日の開発 K#F85E/A-E74C-2BA8}
長い間課題だった描写拡縮ボタン,輪郭複製機能について大きな進展があった。
描写拡縮ボタン
昨日の開発で最大化アイコンが出来たことをきっかけに,描写拡縮ボタンの実装イメージが固まり,実装・手定めまで概ね完了した。想像以上に早く上手くまとまった。下見機能との相性も良い。ただし輪郭選り手抜控機能整備が途中であるため未出振るい。
描写拡縮は機能的には単純だが,用合い,特に領当てが難しかった。最近,描写部下境界に重ねる形での実装を考えていたが,描写部を飛び出すと他の要素に干渉してしまう。かといって余白を無駄に広げたくない。これは,下部の陰影に重ねつつ,初期化時点でスクロール可能な場合は下余白を追加することで解決した。文字や暗い背景色と重なっても視認出来るように,半透明の白背景を付けた。
拡大ボタンはスクロール可能であることの目印としても効果的なので,これを活かして,スクロール完了時には透明度を上げ,それと分かるようにした。
これで,外観・操作感ともにデライトに調和した描写拡縮ボタンが出来た。描写部の高さ固定は一覧性を確保するために必要なものだったが,用合い上の弊害も小さくなかった。陰影付きスクロール,最大化アイコン,そして描写拡縮ボタンによって,ようやくこの問題が解決した。
輪郭複製機能
輪郭複製機能も課題としてずっと考えていたが,用合い上の難しさがあった。
ボタンを押すことで複製輪郭が出来る,というのは使用頻度を考えると誤操作の懸念の方が大きい。となると,目立たないように置くしかない。かといって,操作手順が増えると,選り手を開いて写し貼りするのと大差ない。
簡単に握接出来て,なおかつ制御しやすい用合いが必要だった。ここで,「知名・描写を複製して新規描出フォームに移動するボタン」があればいいことに気付いた。これなら,自輪郭に常に表示しておいてもいいだろう。

{希哲16年5月12日の日記 K#F85E/A-E74C-70B2}
じっくり気持ちを整えたことで,自然と生活律動も整ってきた。心身の調子もすこぶる良く,作業も捗り,しばらく休んでいた陶練も再開出来た。
最近,また進捗時限法が形骸化しつつあったので,今日からしっかり時間制限を守ることにした。集中力もさることながら,小休憩時間を取るかどうかで心身への負担が違う。
また,今日から一日一文は「輪郭整備兼一日一文」としてやっていくことにした。大輪郭整備も思いついてすぐ開発に熱中してしまい,あまり大々的なことは出来ていないが,やはり献典整備にもなり思考の整理にもなるという効用は大きい。一日一文を介してデライト宣伝と連動させることを思い付いた。
一日一文では,自分の目標意識を高めるためにも新生デライトについて書いた。あとは新生デライトの完成に向けて日々「知の行進」を続けるだけだ。昨年も6月頃から「行進」を意識していた。3ヶ月ほどして金風があり吹き飛んでしまったが,状況が似てきたのかもしれない。

{“知能増幅メモサービス”はなぜいま最も重要なのか K#F85E/A-E74C-CDB9}
人工知能,仮想通貨・暗号通貨,仮想現実・仮想世界……等々,様々な分野が世界的な注目を集める中,これらを凌ぐ潜在力があるにもかかわらず,まともに語っているのは私だけなのではないか,と思えてしまう分野がある。それが「知能増幅」(IA: intelligence amplification)だ。
知能増幅というのは,文字通り,工学的に人間の知能を増幅させることを指す。古くからある研究分野だが,人工知能などに比べてその話題性は著しく乏しい(参考)。この言葉に「人体改造」に近い響きを感じる人は多いだろう。実際,脳にチップを埋め込む,遺伝子を書き換えるといった人体改造的な研究がこれまでの主流で,まず倫理的課題が大きかった。倫理的課題が大きければ技術的課題を解消するための実験などもしにくく,実用段階にある技術が存在しなかった。デライトが登場するまでは,古典的な SF の域を出ず,語れることも大して無かったわけだ。
先日の「デライトの使い方の考え方」で少し触れたように,デライトは,その知能増幅を誰でも簡単に触れるメモサービスとして実現した「知能増幅メモサービス」であり,「世界初の実用的な知能増幅技術」だ。どのように実現しているかはあの文章でざっと書いたので,今回は,この知能増幅メモサービスの意義について書いてみようと思う。
知能増幅の世紀
私は,ビッグ・テックや GAFAM などと呼ばれる世界最大の企業群(Google, Apple, Facebook, Amazon, Microsoft)が合併して「Microappglezonbook」となり,自分がその経営を思うままに出来たらどうするか,という思考実験をすることがある。答えはいつも変わらない。iPhone も Google 検索も Windows も,世界最大の SNS も世界最大の通販サイトも,何もかも売り払って,知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。
最近何かと話題のイーロン・マスク氏と入れ替わったとしても,やることは同じだ。テスラも SpaceX も Twitter も,何もかも売り払って知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。ちなみに,氏の事業の一つには,まさに脳にチップを埋め込む系の知能増幅技術を扱う「ニューラリンク」があるものの,やはり,他の事業ほど目立った成果もなく,あまり知られていない。
つまるところ,あらゆる分野の中で,「知能増幅」が群を抜いて大きな可能性を持っていると私は考えている。これを多くの人が理解すれば,21世紀は間違いなく「知能増幅の世紀」になるだろう。世界初の実用的な知能増幅技術であるデライトは,その嚆矢だ。
知識を生み出す技術
長い前置きに似合わず,知能増幅メモサービスがなぜいま最も重要なのかという本題は,拍子抜けするほど単純明快な話だ。知識が最も価値を持つ時代において,最も価値のある知識は「知識を生み出す知識」であり,最も価値のある技術は「知識を生み出す技術」だからだ。まさにそれを研究開発するのが知能増幅という分野だ。そして,知能増幅メモサービスは,最も実現性の高い,実際にデライトが実現している知能増幅技術なのだ。
例えば,人工知能がいかに発達しようと,それを開発し管理し利用していくのはあくまでも人間だ。人間が愚かなまま機械だけが賢くなっても,人間社会にとってのボトルネックは必ず人間の愚かさになる。知能増幅技術は,人間のあらゆる知的活動を最も根源的な部分から持ち上げる技術であると言える。
……と,この単純明快な話を私がしたのは,昨日今日でもなければ一度や二度でもない。昔から,何度端的に語っても,意図するところが伝わった試しがない。どうもピンと来ていないというのか,大体の反応が「なるほど,で?」という感じだ。理屈はなんとなく理解出来ても,それが意味することの大きさを想像出来ていないのだ。その大きさを先に書いた理由だ。
節穴
思えば,この“ピンと来ていない感じ”というのは,「個人知識管理」(PKM: personal knowledge management)として認知されつつある分野に感じるものと似たところがある。その名の通り,個人が自らの知識を効果的に管理することに関してはすでに色々な方法論や技術が集められている。その代表的な手段として「メモ」があり,メモアプリやメモサービスなどと呼ばれるものも盛んに研究・開発されている。
このメモサービスを知能増幅に結び付けたのが「知能増幅メモサービス」というデライトの位置付けだが,これが,私が思っていたより変わった発想だったらしい,とデライトの宣伝を始めてから気付いた。個人知識管理の技術を発展させていけば,それは当然知能増幅に繋がる。この単純な発想が,意外にも共有しにくい。「デライトではこんな新しいことが出来る」と言っても,「なるほど,でも○○で間に合ってるから」という反応を受けることが多かった。そこには,想像していたよりずっと大きな温度差があった。
このあたりの分野をよくよく観察してみると,開発者にせよ愛好家にせよ,そこまで大きなビジョンを持っている人はほとんどいないことが分かる。要は,「生活術」とか「仕事術」とか「ライフハック」の範疇でしかとらえていない。個人知識管理が知能増幅に繋がり,それが世界を変える,なんて大それたことを考えている人間は,全くいないわけではないだろうが異端者だ。
私の立場からは「節穴同然の眼力」としか言えない分野の体たらくだ。「趣味の問題」で済む話でもない。そう思ったとしたら,ここまでの話が理解出来ていないか,想像力があまりにも足りない。ただただ,一人でも多くの人がこの分野の本当の可能性に気付いてくれることを願って,私は叫び続けている。

{希哲16年5月8日の日記 K#F85E/A-E74C-57D4}

{希哲16年5月4日の日記 K#F85E/A-E74C-5BD0}

{SNS の限界と言論の自由 K#F85E/A-E74C-37F2}
Twitter 買収騒動で,SNS における“言論の自由”についての議論が再燃している。
相変わらず誰もが SNS 上の規制について考えているわけだが,そこに誰もが納得出来る結論はなく,水掛け論の域を出ていない。これからもその域を出ることはないのだろう。表現の自由・言論の自由についての議論は今に始まったことではない。
私自身の考えは昔から一貫している。SNS における表現の自由が問題視されるのは, 発信の質に対して発信力が強過ぎるからだ。それが中傷やヘイトスピーチ,デマといった問題になっていくわけだ。SNS の構造的限界なのだから,その構造を変えてしまうしかない。
「KNS」(knowledge networking service)を標榜するデライトは,世界で初めて,理論的かつ具体的な SNS の構造改革を提案をしているサービスだ。
見ての通り,デライトは Twitter のようなマイクロブログに近い感覚で利用することが出来る。では何が違うのかというと,知識を蓄積する機能を持っていることだ。デライトは,個人がよりよく世界について知るためのメモ機能と,それを基礎とした交流機能を提供している。これがつまり KNS だ。まだ小規模ながら,実際に新しい知的交流が生まれている。
世界史的に見れば,SNS というのは衆愚政治に陥った古代民主主義の再現だ。民衆の発言権が強くなると,民衆を煽動しようとする政治家が現れる。彼らは「デマゴーグ」と呼ばれ,その煽動行為は「デマゴギー」と呼ばれる。いわゆる「デマ」はこれに由来する。
デマゴーグ達によって混迷に陥った古代社会を批判するように,ソクラテスやプラトンといった哲学者達が現れ,西洋思想の源流となっていった。こうした経緯から西洋思想にはエリート主義の伝統が根強くあり,大衆による直接民主主義は軽視されてきた。それから紆余曲折あって,エリートと大衆の折り合いを付けた間接民主主義が定着し今にいたる。
エリート任せでも大衆任せでも社会は上手く行かない。人類が長い勉強の末に到達したこの秩序を,技術で破壊し,古代に逆戻りさせたのが SNS だ。SNS で人々を煽動して支持層を固めれば,一足飛びに権力を得ることが出来てしまうわけだ。
だからといって今更エリート主義には戻れないだろう。大衆が愚かなのが悪いというなら,大衆が「皆で賢くなる」しかない。KNS は,そんな不可能そうなことを可能にする唯一の道具だ。「万人による万人のための知性主義」という,世界史上最大の課題に対する真正面からの解答なのだ。
