{『希哲日記』}{}{日記}{}{デライト}{ぽんと}{寄りかかる}{何十倍}{自分の年齢}{自分の仕事}(74)

{希哲17年1月18日の日記 K#F85E/E74C-44B9}

{『希哲日記』}{黄金状態}{}{日記}{希哲16年3月}{第四次黄金状態}{大輪郭整備}{希哲16年2月24日}{振り返り日記}{定休日}(109)

{希哲16年3月6日の日記 K#F85E/E74C-F72B}

定休日のため無理をしない程度作業をしようと思っていたが,一日思いのほかぼーっと過ごせた最近休むに休めないことが問題だったので,少し安心した久しぶりにぶらぶらサイクリング出来た

脳爆発整理をつける糸口が掴めたことでだいぶ気が楽になったようだ。

第四次黄金状態では脳爆発抗わずむしろ促進してしまった方が良い,と考えてからしばらく上手く行っていたが,こう脳爆発続くと,噴煙視界が悪くなるように頭の整理出来なくなってくる

これが心理的負担だったようで,最近生活習慣乱れがちで,心身の調子概ね良好ではあるものの黄金状態というほど冴えてもいない,という微妙な状態続いていた

大輪郭整備経て脳爆発完全に利用出来るようになれば,今度こそ本当に第四次黄金状態物にした言えるだろう。


ウクライナ侵攻についても,初めてまともに考えることが出来た。侵攻始まった2月24日は,ちょうど新しい脳爆発連鎖起き始めたで,まともに考える余裕無かった

20代のころロシア史熱心に勉強して,『ラドガに到着したリューリクと兄弟達』希哲館素材絵画にしたり,虎哲並ぶ新交通機関構想リューリクもじった竜力」という名前を付けたりしていた私にとって,運命を感じる事件ではあった。

そして,あの英米政治危機から顕在化した自由民主主義脆弱さ招いた結果だ。私に出来ることは,知識産業革命成し遂げ希哲民主主義確立し,独裁者付け入る隙を与えない強い自由民主主義作り上げることしかない。私にしか出来ないことでもある。

ジパング計画にもいよいよ猶予無くなってきたが,もう麻痺しているのか,不思議と重圧感無かった


7日振り返り日記

{『希哲日記』}{希哲15年}{万が一}{散歩}{日記}{}{陶練}{進捗}{デライトの成功}{デライト}(166)

{希哲15年4月29日の日記 K#F85E/E74C-0257}

昨日から妙に気分ぐらぐらしているというか,気持ち身体が付いてきていないような感覚があった。この日も急に気分高揚したと思ったら急にぐったりするなどして,明らかに呼吸が乱れている様子だった。

昨晩の就寝中,軽い胸痛を覚えて少し寝苦しかった。一昨日デライトは数ヶ月以内に成功確実」などとんでいたのだから,体調が良くなる心当たりはあっても悪くなる心当たりはなく,珍しいことだが気のせいだろうと最初は思っていた。

結局,日中もいまいち調子が出なかったため,作業はほどほどに,じっくり状況気持ち整理することにした。


すでにデライト開発は十分な持続性確保し,仮にずっと収益目標達成が出来なくても死活問題にはならない,という状況にあった。

しかし,デライトの成功ではなく“希哲館事業の成功”を考えれば悠長なことはしていられない。多少のリスクを負っても早期に収益目標を達成しなくてはならない。その思いから11月1日としていた必達期限5月1日繰り上げ短期集中生活に入ったのが先月28日だった。

この短期間に多くの成果を得て,さあこれから正念場だという時に,負っていたはずのリスク消し飛んだ。6月末あたりまで,あと2ヶ月はこのままの態勢で問題なくデライト開発を続けられることになった。一昨日,27日に起きたのはそういうことだった。

多少の不安はありつつ,5月1日までの収益目標達成にもそれなりの勝算があった。その猶予が2ヶ月近く延びれば,達成出来ないことを想定する方が難しい。必達期限を繰り上げる前より4ヶ月以上早い達成見込みが出来たことにもなる。

安全着実に歩を進めていては達成出来るのが数年後になるかもしれない,という見込みだったから多少の無理にも意味があった。その数年が2ヶ月以内になるなら,この数日にデライトの成功を賭ける意味は全く無い。

1日までは既定路線頑張ろうという気持ちに反して,妙に脱力感が強いと思ったが,なるほど勝手に肩の力を抜いた身体の方が正しい

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{『希哲日記』}{日記}{進捗}{第三次生活習慣改善}{生活習慣改善}{デライト}{デライト開発}{乗り物酔い}{地固め}{開発中断}(68)

{希哲15年3月20日の日記 K#F85E/E74C-6F0D}

組計見直すことにしていた日だが,昨日で腹は決まっている。5月1日までのデライト収益目標達成を目指し,4月中旬までは毎日開発注力する。急な用事などで多少の調整をする可能性はあるとしても,明日から4月一杯までで少なくとも30日確保出来るとみて良いだろう。

すぐに短期集中生活に入るという選択肢もあったが,それで得るもの失うもの天秤にかけると止めておいた方が良さそうだ。本格的な企業活動として負う責任も重くなり,体制を整えるためにぐんと忙しなくなるであろう達成後の生活にも備える必要がある。

生活律動を保ちながら生活習慣改善継続し,高位安定進捗を出し続けることが出来れば十分手の届く目標だ。仮に失敗したところで必達期限まで半年猶予がある。短期集中生活に入るとしても,最後の1〜2週間にすべきだろう。1日あたり平均15歩目安としておく。

生活安定し,心身の調子も良く,作業環境も整い,時勢追い風になっている。1年近く前に書いた「最高の環境最高の状態にあり最高の機会に臨める」という言葉がこんな状況でまた使えるとは思わなかったが,まさにそんな感じだ。この幸運有り難さを毎日自分に噛み締めさせたい。


デライト開発に関して当面の心配事はあまり無いが,夜にまた大きな地震があり,災害については考えてしまった。明日首都直下地震でも起きればデライトは良くて開発中断,悪ければ消滅だ。

ある程度の地固めを終えたら組織化分散も進めなければならないが,いずれにせよ収益化達成後の話だ。

宮城友人がいるのでそれも心配したが,大丈夫らしかった。


第三次生活習慣改善の一環として,一時間程度の晩の散歩も今日から再開した。脳過熱になりやすい生活が続くため,明日から短めの朝の散歩とともに毎日継続したい。

今日も夕方頃に乗り物酔いのような気分の悪さがあったが,晩の散歩後は絶好調だった。

{『希哲日記』}{日記}{十分}{電話}{進捗}{希哲14年9月の月記}{希哲14年9月28日}{デライト用合い改良}{鈴木仁大}{デライト収益化}(27)

{希哲14年9月28日の日記 K#F85E/5B28-F1BA}

デライト用合い改良没頭しながら,適度緊張感を保つ努力を続けている。

デライト収益化までに1ヶ月以上の猶予はあるが,これが十分長さになるかはの持ちよう次第だ。のんびり過ごしていれば1年でも10年でも足りない。かといって追い込み過ぎると空回りしてしまう。毎日進捗最大化するように調整し続けるしかない。

久しぶりに友人電話をした。ちょうど良い時期に元気そうなことが確認出来て良かった。

{開発}{『希哲日記』}{日記}{デライト}{デライト離立補完}{印迫}{希哲14年7月の月記}{あれ}{小学校時代}{収益模体}(79)

{希哲14年7月12日の日記 K#F85E/5B28-E400}

10日の日記末尾にも書いているように,デライト離立補完遅れによりデライトの宣伝前倒し再開出来ないか検討していたが,色々考えて不可能結論付けた。

例えば,新規利用者登録停止して宣伝を再開すれば期待感は維持出来るが,その間,今以上に出来ることが無い。デライトパッケージ製品であればともかく,指先一つで試せるウェブサービスはそれ自体が宣伝材料なのであり,すぐに触ることが出来て印迫のあるものを見せる以上の宣伝活動は無いだろう。

それ以外に費用対効果の釣り合うことといえば,隙間時間ツイスト開発裏話を流しておくくらいで,これはすでにやっている。やはり,デライトの宣伝を再開したければ離立補完を終わらせるしかない。

ここで,デライト離立補完における達成期限設定の仕方を見直すことにした。

6月末の計画見直しで,非現実的目標設定による追い込み管理からの脱却を決め,デライト収益化に関しては8月一杯という率直必達期限修正した。

一方,離立補完に関しては,希望的観測で適当な達成期限を設定しては延期し続けるという状態であり,もはや期限としての意味をなしていない。そもそも,離立補完から収益化までに必要な期間は,その時の品質市場動向などに大きく影響を受けるものであり,予め想定しておくことに無理がある。このことから,まずは収益化だけを睨んでおいて,離立補完は風向きを読みながら適当な時期にすればいいのではないか,と考えた。

しかし,デライト離立補完がどれだけ完璧な状態で終わったと仮定しても,収益化までの猶予として最短でも10日程度の期間は欲しい。集客さえ出来れば収益に繋げられる収益模体はすでに作っているので,時間差分として10日もあれば希望が持てる。これを意識しておく意味はある。つまり,8月31日が収益化の必達期限であれば,自ずと離立補完の必達期限もキリのいいところで8月20日あたりに定まる。中間の努力期限目安程度にはあった方がいいだろう。

そこで,8月31日20日を収益化・離立補完の必達期限として,8月20日10日8月10日7月31日7月31日20日とほぼ10日刻みで中間の努力期限を設定することにした。いずれにせよ期限より早く出来る分には問題ないので,これ以上細かく刻むのも無意味だろう。

それぞれの期限を把握しやすいように「地獄の1丁目」のような名前を付けたくなったが,努力期限はあくまでも目安であり,これまでのような追い込み管理ではないので響きが重過ぎる。

そんなことを考えていて,ふと,白熊作戦について思い出した。デライトダーウィンの海攻略作戦として,昔の私の用語「ホワイト・オーシャン戦略」にちなんで命名し,一時は細かく目標管理をしていたがコロナ危機からの慌しさですっかり忘れていた。

この際ついでに復活させ,4組の期限を「北極1丁目」(7月31日20日),「北極2丁目」(8月10日7月31日),「北極3丁目」(8月20日10日),「北極4丁目」(8月31日20日)と呼び,これからの計画を「新白熊作戦」と呼ぶことにした。今は北極1丁目にいることになる。

いま思えばデライト正式離立予行演習のようなもので,思うようには行かなかったが,学べたことがたくさんあった。離立補完が正真正銘失敗の許されない本番になりそうだ。

デライトと直接の関係はないはずだが,この日,なぜだか小学校時代のことをよく思い出した。当時,上手く言葉に出来なかった自分の思いがよく理解でき,これまでになく記憶が鮮かになったような気がした。

これだけの考え事をしてさて寝るかという時,デライト上で非常に勇気付けられる嬉しい反応があり,興奮して久しぶりの夜更かしをしてしまった。デライトをよりよいものにすることに専念しようと決意したばかりだったので,不思議偶然でもあった。

この日記は,少し余裕が出来た14日にこの日考えていたことを整理して書いた。

{進捗記録}{進捗}{希哲14年5月25日の開発}{希哲14年8月}{希哲14年7月}{希哲14年5月25日の進捗時限}{希哲14年5月25日の進捗}{希哲14年5月25日}{進捗時限記録}{進捗時限}(17)

{希哲14年5月25日5歩 K#F85E/5B28-892B}

デライト離立補完輪郭ページ整理,吹き描き周り整理続き。

途中で終了。

午後から今後の計画について検討していたが,デライト収益化7月まで延長出来る可能性がある。この場合,8月までに鎌倉入りを果したい。

4ヶ月延長出来る可能性があるが,いずれにせよ,そこまで悠長に構えていては時間が無駄に過ぎていくだけなので,長くとも2ヶ月猶予と考えておくべきだろう。

{デライト}{離立}{希哲13年12月26日のツイスト}{希哲13年12月26日}{技術的完済}{〈technical payoff〉}{1週間}{ツイスト}{希哲社}{財政的}(16)
{猶予}

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