{心地良い疲労感}{整理しておくべき}{怪しげ}{なりつつある}{大きな展望}{題して}{希哲館事業}{希哲16年5月14日}{希哲16年5月13日}{輪郭整備兼一日一文}...=}(63)

{希哲16年5月14日の日記 K#F85E/A-E74C-A07D}

{『希哲日記』}{デライト}{希哲15年4月の月記}{よく頑張った}{一年余り}{希哲15年4月4日}{デライト小理腑}{愛着}{切なさ}{歩み}...=}(15)
{希哲館事業}{新生デライト}{デライト開発}{『希哲日記』}{利素}{デライト}{希哲15年3月29日8歩}{寝食を忘れる}{極めて重要}{調整期間}...=}(101)

{希哲15年3月28日の日記 K#F85E/A-E74C-5782}

意を決し,この日から4月10日までの短期集中生活に入ることにした。デライト収益目標達成必達期限11月1日としていたが,努力期限としていた5月1日を必達期限に置き換える。つまり,この一ヶ月決着を付ける覚悟をしたということだ。

4月最後の12週間ラストスパート的な短期集中生活に入る可能性想定していたが,入らなくて済む可能性も残していた。あくまでも努力期限として,収益目標未達になることも無論想定していた。失敗出来ない状況になれば短期集中生活に入ることは避けられず,どうせ入るなら早い方が良い。新生デライトをある程度形にしておきたい4月上旬まで,偶然にもこの日からちょうど14日間だった。経験上,容易生活律動矯正出来る限度だ。連日興奮気味でどの道まともに眠れそうにないということもあった。

このごろ,デライト希哲館事業全体に累新ルネサンスをもたらしているように感じる初心に返ってみることが多くなったり,長年死蔵していた物事が続々と息を吹き返している。デライトが心臓となって事業全体に再び血が巡ってきたようだ。

デライトの成功焦点を絞り,あらゆる利素をデライトに注ぎ込んだ成果と言えるだろう。このデライト集約によって立ち塞がっていた突破することが出来たのは間違いないが,ずっとこのままというわけにもいかない。デライト開発快調に進むにつれゆとりが出来,視界が広がってくると,今度はその視野の狭さ足枷になってくる。

と言っても,このことにはっきり気付いたのはついさっきのことで,そのきっかけはつい前日,希哲館本館構想急速具体化してきたことだった。あえて目隠しをしていたようなものとはいえ,希哲館事業全体に対する視野を失っていたことの意味に気付かされた。

希哲館事業の成功デライトの成功は必ずしも一致しない。デライトの成功が確実になる代わりに希哲館事業の成功が皆無になる道と,デライトの成功が危うくなる代わりに希哲館事業の成功が雀の涙ほどありうる道があれば,迷わず後者を選ばなければならないのが希哲館執務長という立場だ。私はデライト開発者である遥か以前に,執務長として希哲館事業の成功に責任を負っている。

そう考えれば,今の歩みは明らかに遅過ぎる5月1日までの収益目標達成に失敗すれば多少の調整期間を挟む必要があり,6月7月とずれ込んでいく可能性が高い。それでも必達期限は11月1日なのだからまだまだ余裕がある。それに失敗しても生活に困るわけでもなく,デライトは細々と運営していける。何年か後に成功していれば世間的には大成功で,それはまず確実なのだから焦る必要は全く無い。心のどこかにそんな気持ちがあったことは否めない。希哲館執務長ではなくデライト開発者になっていたからだ。

デライト極めて重要希哲館事業一環ではあるが,所詮は一環だ。デライトの成功は,希哲館事業の成功爪先にも及ばない。その後にやらなければならない仕事デライト開発の何百倍とある。デライト収益目標達成ごときにてこずっているわけにはいかない。

最近,日々の展開のあまりの速さに目が回るなどとよく書いていたが,これも今思えば情けない泣き言だ。実際,昨日大きな心境の変化があったかと思えば,今日また新しい心境が開けるのだから,頭の中洪水のようだ。前日の考えをまとめるだけで半日かかっている。宇宙飛行士訓練ではないが,これは慣れるべきことなのだろう。むしろ,毎日加速を続けなければ寿命千年あっても希哲館事業の成功を見ることは出来そうにない。

来月10日までは寝食を忘れてでも頭が働く限り開発に専念し,誰に見せても恥ずかしくない新生デライト5月1日までの収益目標達成を確実にする。11月1日には希哲館仮本館が出来ているくらいの勢い加速し続けたい。

29日振り返り日記

{『希哲日記』}{大きな地震}{希哲15年2月13日}{デライト1周年}{振り返り日記}{デライト正式離立}{明け方}{しみじみ}{23時}{歩み}...=}(18)

{希哲15年2月13日の日記 K#F85E/A-E74C-026D}

無事デライト1周年を迎えた。

正式離立のために踏ん張っていた去年の今頃を思い出してしみじみしていた23時過ぎ,東日本大震災以来かと思うような大きな地震があった。

どんな偶然なんだか,当時の記憶鮮明に蘇り,1年のはずが10年歩みについて思いを馳せることになってしまった。結局,明け方まで眠れなかった。

14日振り返り日記

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{希哲館事業}{11月}{デライト市場戦略}{デライト}{デライト宣伝}{希哲14年の月記}{描出量}{希哲14年12月28日4歩}{メカソクラテスの弁明}{デライトの特性について}...=}(53)

{希哲14年11月の月記 K#F85E/A-E74C-4E4C}

1日希哲館創立13周年を迎え,希哲館事業歩みを振り返った。まだまだ苦労が足りないと実感,もっと泥臭く頑張ろうと思った。

5日には10月までの短期集中生活で負った諸問題に解決見通しが立つ。

6日米大統領選挙大勢が伝わり始め,ドナルド・トランプ落選をほぼ確信希哲館事業にとっても重要だったこの4年についてよく考えた。

10日第一次総括から2年あまりの歩みまとめる「第二次総括」を始めることにした(後にこれを兼ねることになる「メカソクラテスの弁明」まで停滞)。

少し気分弛緩していた中,叔父についての悪い報せを受け,希哲館事業の成功を急ぐ理由を思い出した。白熊作戦短期決戦路線を維持し,デライトの成功翌年11月1日まで見ておくことを考え始める。

12日,今度はが実家に来ているうちに調子を崩した(1週間ほどで復調する)。

13日,正式にデライト収益化期限翌年11月1日延長することを決めた。

19日短期集中生活後始末に関してはを越えた。

20日頃から自分でデライト宣伝変化を感じるようになった。ツイストに重点が移る。

24日,この1ヶ月ほどの生活変化待欄調整による自制の結果として自身の描出量激減していることもあり,デライト高頻度利用最適化され過ぎていることを問題として認識した。

25日,この問題を意識して書いたスレッドデライトの特性について)中のあるツイストが一部で話題を集める(N10K 騒動)。

以後,「メカソクラテスの弁明」と呼ぶことになるツイスト群を練りながら今後のデライト市場戦略について再考し始める。

{『希哲日記』}{デライト}{デライト宣伝}{希哲14年11月の月記}{希哲15年11月1日}{十年後}{目標期限}{希哲館創立14周年}{五十年}{細く長く}...=}(74)

{希哲14年11月10日の日記 K#F85E/A-E74C-7B7B}

諸々整理して一息つけるようになってきたため,今日は一日じっくり、ここ数日の諸記録を埋めながら今後について考えることにした。デライト宣伝も全く出来ない日が続いてしまったため,今日から毎日1歩分でも必ず時間を割くことにした。

また,今後の正しい計画策定のため,第一次総括から2年あまりの歩みまとめ,これを「第二次総括」と呼ぶことにした。第一次総括同様,何日かかるか分からないが納得行くまで続ける。

そんなことを考えていた正午頃,叔父について悪い報せを受けた。ここ数年,妙に自分や周囲にとって都合の良いことばかり起きるので,そろそろ不幸が訪れるのではないかとかえって不安だったが,いよいよ来たか,と思った。それと同時に,デライトの成功,ひいては希哲館事業の成功を急がなければならないもう一つの理由を思い出した。

ここ最近,希哲館創立13周年を過ぎ,米大統領選挙も誰が勝ったとも言えないまま一応終わり,デライトの成功を急がなければならない理由を見失っていた。

用合い改良山場を越えたことで太く短く時間投入しなければならない作業はほぼ無くなり,細く長く継続していくことが重要段階に入ったという感覚もあった。

普通,事業収益化を急ぐのは存続に関わるからだが,デライト超高効率運用なら十年でも五十年でも,私が生きている限り存続させることは難しくない。そういう意味で,デライトの成功時間の問題には違いなかった。

それにもかかわらず,短期決戦から持久戦への移行決断することは出来なかった。何か忘れているような,引っかかりがあった。件の報せを受けたとき,それが何だったのか突き付けられたような気分だった。私が成功を急いでいたのは,大義名分のためばかりではない。その前に死んでほしくない人が多い。

今のデライトの状況なら,目標期限を短かく設定すれば早期成功可能性は高まるが,その代わり確実性は低くなる。一年後を見据えるか十年後を見据えるかで時間の使い方も変わってくる。健康上直ちに問題にならない程度に睡眠時間調整するだけでも一日あたり数時間変わるだろう。

デライトの成功が十分な確実性早さ期待出来る期限を考えた時,あと1年キリのいいところで希哲館創立14周年となる希哲15年11月1日が最も妥当な線として思い浮かんだ。

離立から2年以内なら「ダーウィンの海短期攻略作戦」という白熊作戦趣旨も辛うじて保てる。とりあえずはこれで短期決戦路線を維持することにした。

{希哲館事業}{『希哲日記』}{散歩}{歩く}{希哲13年10月の月記}{希哲13年10月16日}{希哲館創立12周年}{土手}{歩み}{習慣}...=}(14)

{希哲13年10月16日の日記 K#F85E/A-5B28-2B35}

歩くことと思考の関係についてよく考えた。大昔から散歩習慣を持つ思想家は多い。私も考えごとをしたい時に歩きたくなり,とにかくよく歩いてきたが,これは思っていたより重要なことだったのかもしれない。

今日も外で色々なことを考えて帰途についたが,その途中,ふと希哲館創立12周年が目前であることに思いを馳せた。その時歩いていたのが,12年前に希哲館事業を始めることを決意した土手の対岸であった上に,疲労感もあってか,当時,走りながらぐるぐると考えごとをしていた自分がありありと目に浮かび,すれ違ったような気さえした。

これまでの歩みを噛みしめ,気が引き締まった。夕焼けも美しく見えた。

{歩み}

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