暫定一夜革命で小康期が終わり,希哲館事業を世に出すために本格的に動き出した時期。その全てがデライトに収斂し,デライト開発が始まる。希哲12年〜希哲13年。
{希哲館黎明期}{希哲館史}{希哲館史時代区分}{希哲館}{希哲館累新}{累新期}(6)
{希哲館累新期 K#F85E/4686-AF3C}
宇田川浩行{希哲1世紀}{希哲10年代}{希哲館黎明期}{35歳}{34歳}{2020年}{令和2年}{希哲紀元}{デライト正式離立}{素描}(10)
{希哲14年 K#F85E/F9B7}
宇田川浩行(33){希哲17年7月10日の入浴}{全てのデライターへ}{2020年}{令和2年}{あれ}{希哲16年1月21日7歩}{希哲14年の映画}{希哲15年11月16日の日記}{希哲15年8月4日の日記}{いくつかの岐路}
{希哲1世紀}{希哲10年代}{希哲館黎明期}{34歳}{33歳}{2019年}{令和元年}{希哲紀元}{希哲15年1月28日の日記}{K13}(14)
{希哲13年 K#F85E/0044}
宇田川浩行(64){第一次生活習慣改善}{希哲13年前半}{希哲13年の日記}{希哲13年後半}{34歳}{希哲17年4月13日の日記}{希哲17年1月18日の開発}{希哲17年1月18日12歩}{2019年}{令和元年}
{希哲1世紀}{希哲10年代}{希哲館黎明期}{希哲館小康期}{32歳}{33歳}{平成30年}{2018年}{素描}(9)
{希哲12年 K#F85E/0626}
宇田川浩行(59){希哲12年後半}{希哲12年前半}{33歳}{希哲17年5月12日の日記}{希哲16年1月21日7歩}{希哲15年11月27日の日記}{PWA}{希哲15年4月2日の日記}{『輝きだして走ってく』}{希哲12年11月}
{希哲館黎明期}{第一次生活習慣改善}{色褪せていった}{希哲13年前半}{外見黄金期}{宇田川}{デライト開発最初期}{第一次}(8)
{第一次外見黄金期 K#F85E/0758-7441}
宇田川浩行{メモサービス}{希哲10年代}{希哲館黎明期}{デライト}{なんでもメモ}{知の錬金術}{HPA}{小さな鍵}{ワンインオール}{つなげながらまとめる}(74)
{デライト K#F85E/4686-182F}
宇田川浩行(2,040){使い方}{無料哲学}{デラング}{デライト導入段落}{新生デライト導入段落}{「デライト導入文」}{デライトの考え方}{デライトの使い方}{
dlt.kitetu.com
}{知名の付け方}{開発}{希哲館黎明期}{デライト}{希哲13年9月の月記}{デルン開発}{ウェブサービス開発}(6)
{デライト開発 K#F85E/4686-F398}
宇田川浩行(366){黄金状態}{進捗時限法}{希哲17年8月2日の日記}{希哲館事業は長期安定体制へ}{希哲17年7月29日の日記}{デライト開発の夏休み}{希哲17年7月15日の日記}{希哲17年7月9日の日記}{33歳}{希哲17年6月23日の日記}
{『希哲日記』}{希哲館累新期}{希哲館黎明期}{希哲館小康期}{希哲館史}{希哲館草創期}{希哲15年}{日記}{デライト}{振り返り日記}(36)
{希哲15年1月18日の日記 K#F85E/E74C-2641}
宇田川浩行今年から希哲館事業がまた新しい段階に進んだように感じていたため,久しぶりに希哲館史を整理した。
草創期(希哲元年〜11年)から小康期(〜12年)を挟んで,以後は黄金期に向けての黎明期と位置付けていた(希哲12年11月4日の日記)。今はまだ黄金期とはいえないものの,これまで黎明期と呼んでいた期間とも明らかに質が変わっている。
「黎明期」の代替案として「累新期」という表現を考えていたことを思い出し,仮にこれを採用することにした。昨年末のデライトに起きた変革を「デライト累新」と呼ぶことにしていたので丁度いい。
希哲館黄金期,知の黄金郷に手を伸ばせば届きそうなほど近付いていることを改めて実感した。
いまデライトでやろうとしているインターネット改革というのは「ネット交通整理」でもあるんだな,などと考えたりもした。
また,日記の付け方を見直した。
忙しさで日記を付けられない日が多くなり,ある程度過ぎた日付の日記には「振り返り」や「加筆修正」などと末尾に書いて後日まとめることがあったが,感覚的なもので基準が明確ではなかった。
今後,当日30時までに書けなかった日記は一律「振り返り日記」として,その旨を末尾に記しておくことにした。ただし,本当に加筆修正程度のことであれば「加筆修正」と書いておく。