{『希哲日記』}{早寝}{日記}{}{初期}{一日一文}{良い意味}{希哲16年3月}{デライト}{描写下見機能}(235)

{希哲16年6月1日の日記 K#F85E/E74C-2E1F}

そろそろ第四次宣伝攻勢新生デライト開発中間まとめすべき時期であるため,振り返り現状整理をした。昨日やろう思いつつ開発に熱中したり姪達の世話追われたりして出来なかった

ある程度考えまとめたが,珍しく早い時間眠たくなってきた早寝最近の課題なので,この日記明日書くことにして早く寝た

宣伝攻勢現況

第四次宣伝攻勢最初から事前想定少し異なる展開を見せたものの,概ね状況良好であると言っていい特に5月前半一日一文時間をかけたのが予定外だった。後半から開発時間増やしてそちらも想定外発展していき,直接的な宣伝活動にはそこまで多くの時間割いていない

当初朝昼晩1時間ずつ宣伝活動割くことを想定していたが,昼晩30分ずつというく,これで丁度良い気もしている高速化歩調を合わせる必要があることに加えて一日一文などでこれまでにない好感触得ている今は無闇にかき集めるより,デライトにとっての理解者じっくり増やしていく時期なのだろう。

それは「宣伝攻勢」なのかという気がしないでもないものの,その程度のことしない時期長かったから意義なくはない

用者動向水物なので,努めて一喜一憂しないようにしているが,最近のデライトでは明らかに良い変化起こっている比較的深いところまで知ってくれる増えたし,常連用者使い方変わっているこれまで開発者何を考えているのか分からないままみんな手探り使っているという感じだったが,ある程度デライトの根想踏まえた上で使ってくれるようになった。良い意味方向感出てきて初心者にとっても良い見本になる。

一方初期デライト宣伝感じていた,「面白そう止まり表面的な反応減っている「面白そうだけど使わないよ」というダーウィンの海乗り越えつつあるように感じる

回り道振り返り

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{『希哲日記』}{希哲13年}{写真}{散歩}{日記}{デライト}{振り返り日記}{希哲館事業}{デライト開発}{気張らず}(89)

{希哲15年10月9日の日記 K#F85E/E74C-2845}

この日から,希哲荘元の寝室き,また戻れることになった。一昨年9月姉の出産備え空けたのだった。

夕方頃から,なんとなく久しぶり葛西臨海公園まで歩いたスマホ写真残っていたことで,あの辺りをよく歩いていたのが丁度一昨年今頃だったことを思い出した合わせたわけでもないのに,不思議な気分だった。緊張感のある散歩だった当時とは反対に,晴れやか気持ち歩けた

デライト開発に入ってから失っていたもの少しずつ取り戻しつつある


希哲荘」と名付けてみると,実家新鮮見えてくるいつぶりか,散歩に出る時になんとなく写真ってしまった。

結局,蛎殻町を除けば出る出られなかった鎌倉に限らず,こんな環境の良い実家より希哲館事業好都合場所など無かった

デライトがここまでになり,黄金生活まで手に入れた。もう認めてやるしかない。


まだ迷いのあった『希希遊記』編集方針についても,ある程度考えまとまってきた

最初は,希行記として意識的書いていくつもりだったが,形式張る始まらない上にまず続かないし,デライト利点活かせない構想初期と比べて,今は『希哲日記』中心とした描出習慣確立している。

これらを踏まえると,希行に関する描出はあまり気張らず自由に行い,後日まとめて振り返りする,というのが現実的だろう。


明日家族集まり体調不良者が出たことにより中止となったため,寝室整理でもすることにした。

11日振り返り日記

{『希哲日記』}{希哲15年}{金風}{}{日記}{}{}{以前}{希哲16年1月}{デライトの成功}(68)

{希哲15年10月1日の日記 K#F85E/E74C-4679}

やはりまだ頭の整理をする必要があると感じたため,ざっと9月の月記を付けながら振り返りをした。金風衝撃忘れそうになっていたが,こうしてみると,実はそれ以前から色々な進展があり,それなりに手応えを得ていたことが分かる

月記6月から付けていないと思ったが,よく見ると1月から3月も付けていなかった。思えば,そんな余裕も無かった。少し早いが,今年恐ろしく濃密急激だったなと思う。

特に金風は,いまだに希哲館事業全体の中でどう位置付けるべきか分からないところがある。楽観的に見れば,デライトの成功,あるいは希哲館事業の成功決定付けた出来事であるような気もするが,まだ手放し喜べるほどの確信が無い。

引き続き10月中のデライト収益目標達成目指し,それが失敗しても来年1月までは1ヶ月ずつ延長可能とすることは決めているので,当面やること迷いがあるわけではない。ただ,それに取り組む上での心構え定まっていない

も,一つ一つ,じっくり整理していくしかないのかもしれない。この日記を書いているうちにも少し気持ちの整理が進んだ気がする。

今,限りなく100%に近い成功への確信はあるが,それが油断という失敗要因になりうる。少なくとも二重三重保証がある120%確信でなければ,それを確信認めるわけにはいかない。結局,「確信出来る」が「確信していい」になるのは収益目標達成を果してからだ。

{『希哲日記』}{金風}{日記}{希哲15年9月の月記}{向かっている}{良い方}{よく分からなくなっている}{凄まじかった}{希哲15年9月30日}{書類整理}(33)

{希哲15年9月30日の日記 K#F85E/E74C-4212}

本格的な書類整理着手出来た。残った手続きについての整理も進み,またすっきりした。

ここまで整理出来ると,ロフト中心に押し込んである大量書類小物気になって仕方ない


末日なので少し今月振り返りでもしようかと思ったが,時間が足りなかった。そういえば,6月から月記を付けていなかった。

金風凄まじかったが,この数ヶ月だけで色々なことがあり過ぎて,もう今どういう状況なのかよく分からなくなっている。しかし,劇的に良い方向かっていることだけは間違いない

{『希哲日記』}{希哲14年}{日記}{}{デライト}{現在地}{新生デライト}{飛当}{デライト開発}{第四次宣伝攻勢}(98)

{希哲15年8月4日の日記 K#F85E/E74C-85D0}

新生デライト開発中の収益目標達成狙うことになり,第四次宣伝攻勢位置付け,引いてはデライト宣伝あり方について見直す必要を感じたため,今日は現状整理時間を費した

デライト高速化前の現状整理以来だが,この3ヶ月あまりの間にも数多くの出来事があり,ついこのあいだ脳爆発があったばかりなので,現在地よく分からなくなっていた。「新生デライト」というのも,そもそも何を意味していたのか忘れかけていた

第三次市場戦略以後,「新生デライト」は「理想的な完成度に達したデライト」に近い意味を持ってきた。その要件先月下旬まとまり,今月から「新生デライト開発」に入れるようになった。それも12ヶ月中の「完成」が視野に入っている。

意識の変化言葉の変化にも表れている。これまで「新生デライト宣言」という表現をよく使っていたが,これは明確な区切りのないものに「完成」の類を使うことに違和感を覚えていたことによる。「完成」が自然に使えるようになったのは,やはり要件がまとまり,新生デライト像明確になったからだ。

その完成を目指せるようになってはじめて,「新生デライト開発」という表現も出来るようになった。デライト開発新しい段階に入ったことは明らかだろう。

一方で,これまでの波状攻撃のようなデライト宣伝根底には,デライトの品質に対する不安があった。出来るだけ品質の高い状態で多くの人の目に触れるようにしたかった。逆に言えば,見せたくない状態が多々あった。それが今のデライトにも必要かというと,少なくとも明確な必要性感じていない

要するに,今のデライトはいつ誰に見せてもいいし,いつ飛当してもおかしくない。だとすれば,もう宣伝攻勢頼らずデライト宣伝日常的継続するべきかもしれない。具体的には,宣伝攻勢では1日3時間としていた宣伝時間1日30分にしてでも毎日する,といったことを考えた

いずれにせよ,新生デライトの完成まで宣伝待つことは出来ないので,新生デライト開発と宣伝は並行させざるをえない。並行させる以上,相乗効果を生むように作業優先順位などを調整していくことになる。

第四次宣伝攻勢をするかどうかは,結論を急ぐことでもないので保留とした。


からしばらくは良い調子だったが,昨年からのデライト開発駆け足振り返りCμ の公開まで考え出してしまったせいで,久しぶり分かりやすい脳疲労症状が出た夕食後には復調した)

しかし,ここで意識正しく更新出来て良かった。ぼんやりした意識のまま突き進んでいたら何かしら判断を誤っただろうし,危なかった

{振り返り}

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