{希哲16年7月20日の日記 K#F85E/E74C-8F1C}
宇田川浩行{希哲16年6月20日の日記 K#F85E/E74C-B297}
宇田川浩行{希哲16年6月1日の日記 K#F85E/E74C-2E1F}
宇田川浩行そろそろ第四次宣伝攻勢・新生デライト開発の中間まとめをすべき時期であるため,振り返りと現状整理をした。昨日やろうと思いつつ,開発に熱中したり姪達の世話に追われたりして出来なかった。
ある程度考えはまとめたが,珍しく早い時間に眠たくなってきた。早寝は最近の課題なので,この日記は明日書くことにして早く寝た。
宣伝攻勢現況
第四次宣伝攻勢は最初から事前想定と少し異なる展開を見せたものの,概ね状況は良好であると言っていい。特に5月前半,一日一文に時間をかけたのが予定外だった。後半から開発時間を増やして,そちらも想定外に発展していき,直接的な宣伝活動にはそこまで多くの時間を割いていない。
当初,朝昼晩1時間ずつ宣伝活動に割くことを想定していたが,昼晩30分ずつという日が多く,これで丁度良い気もしている。高速化と歩調を合わせる必要があることに加えて,一日一文などでこれまでにない好感触を得ている。今は,無闇に人をかき集めるより,デライトにとっての理解者をじっくり増やしていく時期なのだろう。
それは「宣伝攻勢」なのかという気がしないでもないものの,その程度のこともしない時期が長かったから意義もなくはない。
用者動向は水物なので,努めて一喜一憂しないようにしているが,最近のデライトでは明らかに良い変化が起こっている。比較的深いところまで知ってくれる人が増えたし,常連用者の使い方も変わっている。これまで,開発者が何を考えているのか分からないままみんな手探りで使っているという感じだったが,ある程度デライトの根想を踏まえた上で使ってくれるようになった。良い意味で方向感が出てきて,初心者にとっても良い見本になる。
一方,初期のデライト宣伝で感じていた,「面白そう」止まりの表面的な反応は減っている。「面白そうだけど使わないよ」というダーウィンの海は乗り越えつつあるように感じる。
回り道と振り返り
{希哲15年10月9日の日記 K#F85E/E74C-2845}
宇田川浩行この日から,希哲荘の元の寝室が空き,また戻れることになった。一昨年9月,姉の出産に備えて空けたのだった。
夕方頃から,なんとなく,久しぶりに葛西臨海公園まで歩いた。スマホに写真が残っていたことで,あの辺りをよく歩いていたのが丁度一昨年の今頃だったことを思い出した。合わせたわけでもないのに,不思議な気分だった。緊張感のある散歩だった当時とは反対に,晴れやかな気持ちで歩けた。
デライト開発に入ってから失っていたものも少しずつ取り戻しつつある。
「希哲荘」と名付けてみると,実家も新鮮に見えてくる。いつぶりか,散歩に出る時になんとなく写真を撮ってしまった。
結局,蛎殻町を除けば出るに出られなかった。鎌倉に限らず,こんな環境の良い実家より希哲館事業に好都合な場所など無かった。
デライトがここまでになり,黄金生活まで手に入れた。もう認めてやるしかない。
まだ迷いのあった『希希遊記』の編集方針についても,ある程度考えがまとまってきた。
最初は,希行記として意識的に書いていくつもりだったが,形式張ると始まらない上にまず続かないし,デライトの利点を活かせない。構想初期と比べて,今は『希哲日記』を中心とした描出習慣が確立している。
これらを踏まえると,希行に関する描出はあまり気張らず自由に行い,後日まとめて振り返りする,というのが現実的だろう。
明日の家族の集まりは体調不良者が出たことにより中止となったため,寝室の整理でもすることにした。
{希哲15年10月1日の日記 K#F85E/E74C-4679}
宇田川浩行やはりまだ頭の整理をする必要があると感じたため,ざっと9月の月記を付けながら振り返りをした。金風の衝撃で忘れそうになっていたが,こうしてみると,実はそれ以前から色々な進展があり,それなりに手応えを得ていたことが分かる。
月記は6月から付けていないと思ったが,よく見ると1月から3月も付けていなかった。思えば,そんな余裕も無かった。少し早いが,今年も恐ろしく濃密で急激な年だったなと思う。
特に金風は,いまだに希哲館事業全体の中でどう位置付けるべきか分からないところがある。楽観的に見れば,デライトの成功,あるいは希哲館事業の成功を決定付けた出来事であるような気もするが,まだ手放しで喜べるほどの確信が無い。
引き続き10月中のデライト収益目標達成を目指し,それが失敗しても来年1月までは1ヶ月ずつ延長可能とすることは決めているので,当面やることに迷いがあるわけではない。ただ,それに取り組む上での心構えが定まっていない。
物も心も,一つ一つ,じっくり整理していくしかないのかもしれない。この日記を書いているうちにも少し気持ちの整理が進んだ気がする。
今,限りなく100%に近い成功への確信はあるが,それが油断という失敗要因になりうる。少なくとも二重三重の保証がある120%の確信でなければ,それを確信と認めるわけにはいかない。結局,「確信出来る」が「確信していい」になるのは収益目標達成を果してからだ。
{希哲15年9月30日の日記 K#F85E/E74C-4212}
宇田川浩行{希哲15年8月4日の日記 K#F85E/E74C-85D0}
宇田川浩行新生デライト開発中の収益目標達成を狙うことになり,第四次宣伝攻勢の位置付け,引いてはデライト宣伝のあり方について見直す必要を感じたため,今日は現状整理に時間を費した。
デライト高速化前の現状整理以来だが,この3ヶ月あまりの間にも数多くの出来事があり,ついこのあいだ脳爆発があったばかりなので,現在地がよく分からなくなっていた。「新生デライト」というのも,そもそも何を意味していたのか忘れかけていた。
第三次市場戦略以後,「新生デライト」は「理想的な完成度に達したデライト」に近い意味を持ってきた。その要件が先月下旬にまとまり,今月から「新生デライト開発」に入れるようになった。それも1〜2ヶ月中の「完成」が視野に入っている。
意識の変化は言葉の変化にも表れている。これまで「新生デライト宣言」という表現をよく使っていたが,これは明確な区切りのないものに「完成」の類を使うことに違和感を覚えていたことによる。「完成」が自然に使えるようになったのは,やはり要件がまとまり,新生デライト像が明確になったからだ。
その完成を目指せるようになってはじめて,「新生デライト開発」という表現も出来るようになった。デライト開発が新しい段階に入ったことは明らかだろう。
一方で,これまでの波状攻撃のようなデライト宣伝の根底には,デライトの品質に対する不安があった。出来るだけ品質の高い状態で多くの人の目に触れるようにしたかった。逆に言えば,見せたくない状態が多々あった。それが今のデライトにも必要かというと,少なくとも明確な必要性は感じていない。
要するに,今のデライトはいつ誰に見せてもいいし,いつ飛当してもおかしくない。だとすれば,もう宣伝攻勢に頼らず,デライト宣伝も日常的に継続するべきかもしれない。具体的には,宣伝攻勢では1日3時間としていた宣伝時間を1日30分にしてでも毎日する,といったことを考えた。
いずれにせよ,新生デライトの完成まで宣伝を待つことは出来ないので,新生デライト開発と宣伝は並行させざるをえない。並行させる以上,相乗効果を生むように作業の優先順位などを調整していくことになる。
第四次宣伝攻勢をするかどうかは,結論を急ぐことでもないので保留とした。
朝からしばらくは良い調子だったが,昨年からのデライト開発を駆け足で振り返り,Cμ の公開まで考え出してしまったせいで,久しぶりに分かりやすい脳疲労の症状が出た(夕食後には復調した)。
しかし,ここで意識を正しく更新出来て良かった。ぼんやりした意識のまま突き進んでいたら何かしら判断を誤っただろうし,危なかった。
@oln
}{希哲15年7月30日の開発}{希哲15年7月30日の進捗時限}{希哲15年7月30日の進捗}{希哲15年7月30日}{輪郭選り手}{抜控機能}{作業範囲}(18)