{開発}{成功観}{}{}{}{}{}{前後}{一日一文}{サービス}(276)

{私の成功観 K#F85E/0758-C044}

長期安定体制じっくり構築するため,6月7月半ば夏休み気分過ごしていたが,8月からは気持ち切り替えてデライトの完全な成功希哲館事業の成功向けて調子を上げていきたい

そんな8月最初の一日一文題材には,私自身成功観についてが相応しいだろう。そもそも私自身がこの希哲館事業何を目指しているのか,改めてこれまで以上に明確に記しておきたい


さて,「デライトの完全な成功」というのは希哲館事業における目下最大の課題だ。

人気があるサービス必ずしも幸福なサービスではない,というネットサービス開発運営難しさ旧 Twitter騒動広く知られるようになった。もっとも非業界人にも分かりやすくなっただけで,全く問題を抱えていないサービスほぼ存在しないというのが業界実態だ。

デライトは,集客成功していない除けばあらゆる意味極めて上手く行っているサービス言えるデライトの不完全な成功。これが「デライトの完全な成功」という表現多用している理由だが,ではなぜデライト集客成功していないのだろうか。よく考えてみればそう不思議なことでもない。

多くのサービス当然ながら営利目的なので,集客第一考えるすぐに利益出なくても金の卵」である利用者数伸びれば投資集まる。その過程で,無理な資金繰りをしたり,人間関係権利関係しがらみ作ったりいわゆる技術的負債積み上げてしまったり,構想として小さくまとまってしまったりする(これが日本人一番多いそうしなければ生き残れないからだ。デライト場合幸運なことにそうしなくても生き残れてしまった集客最後回せた稀有なサービスなのだ。

デライトその完全な成功何のためにあるのかといえば,希哲館事業の成功ためだ。デライト背景としての希哲館事業については「デライトの歩み」にもざっと書いたが,日本かつてのイギリス産業革命越えるような知識産業革命起こして米中大きく凌ぐ極大国ハイパーパワー成長させ日本盟主とした自由民主主義究極形希哲民主主義によって世界中権威主義体制打倒によって万人自由平和享受出来る世界作り上げることが希哲館事業目的であり,最終的な成功だ。

これが実現出来なければ世界一の大富豪になろうが自分は「失敗者」である,というのが私が17歳頃から引きずってきた呪縛のような成功観だ。

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{『希哲日記』}{}{}{}{日記}{}{}{}{}{テキスト向き}(401)

{希哲17年7月15日の日記 K#F85E/0758-279C}

激化する SNS 戦国時代の中で,サービス文化について考えさせられること多い今日ちょっと面白い発見もあった。

以前にも SNS におけるオタク文化について考えたことがあるが3月1日の日記依然としてその影響力強い感じる例えばMisskey猫耳機能などは私の価値観からすると完全にありえないものだが,そういう部分があることでオタク層からの信頼得ているはあるだろう。誰かにとっての「居心地の良さ」を提供することは SNS核心であって,Misskeyまだ小規模ながら興味深い事例ではある。

最近でいえば,Threads急速な台頭によって,キラキラした Instagram 的な対するドブ川」としての Twitter に,想像以上に多くの Twitter 用者想像以上に強い愛着持っていることが分かってきた。「陽キャ」に対する陰キャ」のコミュニティであるという意識やはり根強いようだ。それは単なる自虐というより,昔から言う明るい人気者ほどつまらない」とか「面白い奴には根暗多い」とか,その種含みがある。

確かに自分が好きだったお笑い芸人なんかを振り返ってみても,根暗ひねくれていたばかりだ。そういう人が,業界一定の地位いて妙に社交的な「明るい人」になったりして,つまらないこと笑うようになり,かつての面白さ失っていく,という哀しい現象よく見てきた

明るい人というのは箸が転んでもおかしいというなので,日常そこまでひねりの効いた刺激求めていないのだ。Twitter 用者Instagram 的SNS感じるつまらなさとは,こういうことなのだと思う

幼稚なデマ煽られやすいなど,全体としては知的脆弱さ目立つ Twitter ではあるが,役立つ投稿面白い投稿比較的多いことは認めざるをえない学問文芸も,多少ひねくれていたり,オタク気質だったりするくらいが丁度良いからだろう。その点で,Twitter 文化にはマイクロブログ型 SNS における確かな優位性がある。

そういう観点からデライト文化について考えてみたら,対 Twitter 戦略なんて無理筋じゃないかと一瞬思いかけた。というのも,デライト文化種子たる私自身が,人間の限りない可能性限りない成功対して限りなく楽天的性格であって,その実現のためにデライト開発してきたからだ。サービス名〈delight〉歓喜かけているくらいなので,そもそもデライトこの上なく明るい気分から生まれているそういう意味では,インスタグラマー真っ青キラキラ志向なのだ。

単純な話Twitter陰キャ寄りオタク寄りSNS だとして,デライトそうでないとすると,どうやって用者移行させるのかという問題があるここまでのデライト運営実感としても,Twitterはじめとするマイクロブログ型 SNS からの訪問者は,明らかにデライト文化引いている

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{開発}{デラング}{希哲14年}{}{}{}{}{}{}{}(424)

{全てのデライターへ K#F85E/E74C-CA32}

デライト公開から2年半ほどち,色々な人興味を持ってくれたり,使ってみてくれたりした。遠くから眺めているだけの登録してみただけのたまに使ういつも使っている……風変わりデライトでも,出会った人多様性他のサービスさして変わらない

感謝

私は,そんな全てのデライター”とデライターの卵達に深く感謝している付き合い長さ深さ関係ないデライト否定的な人ですら,知ってくれただけでありがたい思う

これがよくある社交辞令ではないということは,前回の一日一文,「デライトの歩み」を読めば分かるだろう。そもそも全く無謀な挑戦として始まったのがデライトだ。成功どころか,誰にも認められず終わるかもしれない。それならまだいい。弾圧暗殺命を失うかもしれない。10代の内にそこまで想像して葛藤乗り越え20年かけてここまで来た

たとえるなら,デライトの歩みとは,真っ暗な巨大洞窟一人彷徨うようなものだった。どこかに新しい世界つながる出口がある。生きている内辿り着けるかどうかは分からない。そんな洞窟歩き続けていた時に見えた聞こえた人の声。それが私にとってデライト利用者であり,デライトへのだ。

そしてデライトは「完全な成功一歩手前言えるところまで来ているすでに夢のようなことだ。感謝せずにいられるだろうか。

代表的デライター

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{『希哲日記』}{希哲13年}{日記}{}{サービス}{デライトの完全な成功}{臨海公園サイクリング}{デライト}{希哲17年4月13日}{立てている}(89)

{希哲17年4月13日の日記 K#F85E/E74C-7F66}

ふと思い立ち制脳のため,久しぶりに葛西臨海公園サイクリング再開した。その甲斐あってからは絶好調だった。

ぶらっと走って少し休憩してきても2時間以内帰ってこれる脳爆発反動どうせ日中ぼーっとしてしまうことが多いのだし,これほど時間対効果高い気分転換もない。また外出予定のない続く時期日課にしたい。譜類添付機能実装後,またよく写真を撮るようになっているので,多少献典整備にもなるだろう。


デライトの完全な成功向けて突き進む日々の中で,どうしてもデライト足りないものについてばかり考えてしまいがちだが,デライト得てきたもの多大さもっと自覚すべきだな,と思ったりした

デライトの原点あるいは正体思い起こせば,明日にでもあのサービス勝てるかどうかとか,その水準悪戦苦闘出来るようになっているだけで奇跡的な達成だ。デライト正式離立前の希哲13年にもこの公園よくぶらぶらしていたことを思い出しながら,そんなことを考えていた

Twitter 危機深刻さを増す中で,次から次に代替 SNS話題膨らんでは萎んでいるデライトダークホース中のダークホースだ。ここで勝てば日本世界一変するという舞台に,勝てる武器持って立てている。この日々有り難さ楽しさ満喫しなければもったいない

{『希哲日記』}{一から}{日記}{}{}{デライト}{とらわれず}{精神の最適化}{長年の}{無茶な話}(115)

{希哲17年3月1日の日記 K#F85E/E74C-5E35}

最近SNS 戦国時代観察しながらオタク文化」についてよく考えていたが,これまでオタクというものを漠然としか理解していなかったことに気付いた

同時に自分オタクではないということにも気付いてしまった昔からオタク文化には抵抗が無いのにネットオタク交鳴体コミュニティやたら苦手だった。それはオタク嫌いだからではなく,元々子供時代から特定の集団属することが苦手だったからだ。

教室の隅漫画を描いているような勉強好きな子スポーツ少年不良少年……誰とでも遊びたいし,なんでも知りたいなんでもやりたい,そういう子供だったよな,なんてことを思い出していた私にとって,それが「自由」の原体験だった。やがてそれは人生観世界観となり,希哲館事業にもデライトにも繋がっている。「なんでもメモ」の真意は,分野とらわれず,この世界について網羅した百科全書自分の中で育てようということだ。

そもそもこんなことを考え始めたのは,オタク交鳴体味方に付けられるSNS地盤作りには有利だなと感じることがあったからだ。人を選ぶ側面もあるが,デライト直面しているキャズム早さ深さ考えると,隣の芝生的に羨ましい思わなくもない

結局私自身は,オタク文化つまみ食いするのは好きでも,オタク文化囲まれるのは嫌い人間であって,いわゆるオタクとは言えないのだということに気付いてしまうと,何か期待していたことも滑稽思えてくる

巨大なオタク交鳴体味方に付けても SNS立ち上げには長い年月大きな苦労伴うというのに,デライトの文化一から広めるってどれだけ無茶な話なんだ,という気重気付きでもあった。前向き考えれば長年のもやもや晴れすっきりした部分もあるので,精神の最適化進んだとも言えるか。

2日振り返り日記

{世界}

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