もう一つの見方として,やはり Markdown 寄りかそうでないか,というのは大きい。この状況をひっくり返すなら,ポスト Markdown を生み出すことだ。
{あれ K#F85E/E74C-CE8E}
宇田川浩行{希哲15年10月27日の日記 K#F85E/E74C-57D7}
宇田川浩行昨日は開発環境整備の一環として消極的に考えていた SLFS 開発の再開だが,献典整備としての可能性もあることに気付き,新生デライト開発とともに再開することを決めた。
当然ながら無駄に新生デライト開発を圧迫するわけにはいかないので,相乗効果を生み出すようにやっていきたい。
SLFS は希哲11年に実用化してから,あえて深追いすることを避けてきた。ほとんどは実用上の問題が生じた時に設定やパッケージの引装などを行うくらいで,それも SLFS 開発というよりは用者として使っているという感覚であり,事実上の開発停止状態に近かった。
直接収益化に結び付けるのは極めて困難と予想されたため,パッケージの下信や引装,手定めにかかる時間を最小化するための極力良いネット環境と高性能な開発機,そして十分な時間を用意する必要があると考えていた。
SLFS は希哲社にとっても大きな財産だったが,自分で使っているだけということに「死蔵」というべきもったいなさを常々感じていた。時間の経過とともに忘れていることも増え,保守性も落ちていた。これを改めて実感したのが昨日の核脳周りの調査だった。
SLFS 開発から遠ざかるようになっておよそ一年後,デライト開発に入り,デラングも含めて描出環境も描出手法も飛躍的な発展を遂げ今にいたる。希哲11年に比べ,技術記録もはるかに描き出しやすくなっている。金風によって多少の時間的余裕も出来た。
こうした環境の変化によって,気付けば十分な時間対効果が見込めるようになっている。SLFS にもようやく世に出せる時が来たということだろう。新生デライト開発の再開前に何かが引っかかっていたが,この時を待っていたのかもしれない。それなら遅らせた意義もある。
昨日に続き5時前起床は出来たが,短時間睡眠続きなので早く寝ることにした。
{希哲15年9月26日の日記 K#F85E/E74C-534A}
宇田川浩行今日は1回目の新型コロナワクチン接種で朝から出かけ,少しぶらぶら歩いた。
金か時間かの岐路で時間を選んで歩んできたこの9年だが,もし金を選んで,今と同じくらい奇跡的に成功し,数百億円やら数千億円やらの金を手にしていたらどうなっていたか,などと考えた。
やはり,希哲館事業をここまで持ってくるには,そこから更に10年前後かかるだろう。それも奇跡的に上手く行っての話だ。時機を逃せば,どれだけ金をかけても時間をかけても無理だろう。しかし,今の希哲館事業なら金はどこまでも,どうとでもなる。
どこにも売っていない,誰も持っていない物は時間から生み出すしかない。金は後から付いてくる。この考えは正しかった。どれだけ金を積んでも手に入れられないデライトという至宝を,いま私は手にしていて,金の心配まで無くなったのだから。
帰ってからは作業場周りの大掃除をした。積年の垢を落とせたようで清々しく,気持ち良かった。
色々な思い入れのある音楽を聴きながら,色々な思い入れのある物の埃を取っていると,ここにいたるまでの思い出が走馬灯のように蘇ってくる。思わず感極まってしまった。
つくづく,恵まれ,助けられてきた人生だった。今度こそ自分が皆を助けられるように頑張らなくてはならない,と思えた。
目立って悪いところもなく,記憶している限り手触りも色も愛用していた物に近いが,やはり何年も使っていたものの代わりとしては多少の違和感がある。以前の物も最初はそんな感じだった気もする。使っていれば馴染むのかもしれない。