本日でデライトは、正式リリースから1周年を迎えました。とはいっても、半年ほどはひっそりやっていたので名目的なものなのですが、やはり感慨深いものがあります。これも利用者の皆様のおかげです。この感謝の気持ちは近いうちにしっかり文章にしておきたいなと思っています。

{あれK#9-C7C6/A-90CD}
貴重なご意見を頂いたので,開発者がデライトの考え方について文章を書きました。他の方の参考にもなるかと思いますので紹介しておきます(後ほどいくつか追加します)。
https://dlt.kitetu.com/?fg=KNo.F85E/A-E74C-FF6E

{「テンション維持の問題」と「木構造の限界」 K#9-EC99/A-DBA7}
>どうやればノリを維持しながらアウトライン化を進めることができるのか、それが「テンション維持の問題」
>「木構造の限界」(ツリービュー方式)
>木構造には限界 があります。たとえばある程度大きなホームページを作ったことがある人ならどのようにフォルダを整理すればいいのか悩んだことがあると思います。
アウトラインプロセッサが持つ、この二つの構造的問題に対する開発者さんなりの回答が輪郭構造というやつなのはなんとなくわかる。
Twitterのようにノリとテンションで、まずは思いついたことを片っ端から描き出してみて、ある一定量思索が蓄積された段階で、輪郭同士をウィキのように構造的・階層的に振り返ることを想定しているのだと思う。
思うに、開発者さんの提唱する「N10K問題」というのも「木構造の限界」によるものを想定しているのではないか?
ノートなりページなりが一定量を突破してしまうと、いわゆるツリー方式では、枝葉が繁茂しすぎて分類がむずかしくなったり、直観的にどこに何が書かれているのか認識しにくくなる。その認識の限界量の目安のことを「N10K」と呼んでいる……という解釈であっているでしょうか?
あと、今回はじめて他の人の輪郭にぶら下げる形で、輪郭を描き出してみたが、こういう利用法は想定されているのでしょうか?

{あれK#9-C7C6/A-3287}
ちなみにデライト開発者は、常時3つくらいのウィンドウでデライトを開いています。厳密に役割を決めているわけではありませんが、だいたい一つのウィンドウで文章を書きながら他のウィンドウで検索しています。今のところ Linux で dwm という(構築途中の)環境です。

{あれK#9-C7C6/A-2CFE}
ではデライトがなぜ KNS たりえているのかというと、確かにそれらの障害が無いからです。デライトでは、名前も付けずに文章をただ時系列に投稿するだけ、ということが出来ます。それを後から「立体階層構造」で整理・関連付けすることも出来ます。また、投稿は原則として公開されます。

{あれK#9-C7C6/A-72BE}

{あれK#9-C7C6/A-14F5}

{あれK#9-C7C6/A-4D46}

{あれK#9-C7C6/A-DFC6}
昨日「アウトライナーの未来」について書きましたが、そのあと何となく AUTLA(あうとら)というアウトライナーを思い出して見つけた記事に考えさせられました。デライトの原理(輪郭法)を考案したのと同じおよそ18年前、アウトライナーの限界について語られた文章です。
