{『希哲日記』 K#F85E/4686-E8CF}

きてつにっき

宇田川浩行日記副日記各種副次記録まとめたもの


希哲10年代
10年 11年 12年 13年 14年
15年 16年 17年 18年 19年


希哲12年8月17日から可能な限り毎日付けることにした。

希哲13年7月17日の日記から,「(日付)の日記」という知名で記録することにした。これまでは日付のみの知名で書いていたが,何かと混同の恐れがあった。例えば,後からその日の出来事などについて加えたい記録と,当時の日記として残しておきたい記録の区別がしにくい。

{きてつにっき}{日記}{宇田川浩行}{宇田川全集}{希哲15年4月6日の日記}{希哲12年8月17日}{希哲}{希求主義文学}(8)

{希哲14年12月の月記 K#F85E/E74C-DE63}

メカソクラテスの弁明」を練りつつ,7日には10月までのデライト開発で嵩んだ借りを返すための仕事一段落した。

一連のツイストがやろうと思いながら出来なかった第二次総括を兼ねていることに気付き,ついでに休養も兼ね16日までかけて書き切った。この頃から頭に浮かんでいた「メカソクラテスの弁明」を別名として21日採用した。

メカソクラテスの弁明」は,デライト中心希哲館事業構想全体像について初めて公に語った経験であり,極めて大きな意義を感じていた。

18日から,デライト市場戦略の本格的な見直しを始める。

19日,「ありのまま」を新デライト市場戦略定問として考え始める。「最も使いやすいメモサービスを目指す最も使いやすい知能増幅サービス」や「知能増幅メモサービス」といったデライトをありのままに表現する言葉も考えた。

22日新デライト市場戦略への移行を決定。

24日9月15日から始めた待欄調整廃止K#F85E での自由描出再開

25日新デライト市場戦略標語として「知能増幅解放」を採用

27日黄金状態回復活動統一を決めた(デライト完全集約)。

これ以後のデライトを「新生デライト」,ここまでの一連の出来事を「デライト累新」と呼ぶことにした(29日)。

30日対 Notion 戦略新デライト市場戦略の「一環」と位置付け,デライト宣伝では暗黙宣伝ツイスト宣伝併用することにした。

ここまでで新デライト市場戦略がほぼ完成形となる。

記録が雑になっていた11月12月振り返り穴埋めも概ね(日記月記のみ)終えた。

{一段落}{デライト}{デライト市場戦略}{新生デライト}{知能増幅メモサービス}{デライト開発}{デライト宣伝}{希哲14年の月記}{希哲14年12月31日15歩}{新デライト市場戦略}(44)

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