ここから月末までの時間の使い方について考える。
とりあえず,明日・明後日はデライト開発に割くことにした。
ここから月末までの時間の使い方について考える。
とりあえず,明日・明後日はデライト開発に割くことにした。
1日に希哲館創立13周年を迎え,希哲館事業の歩みを振り返った。まだまだ苦労が足りないと実感,もっと泥臭く頑張ろうと思った。
5日には10月までの短期集中生活で負った諸問題に解決の見通しが立つ。
6日,米大統領選挙の大勢が伝わり始め,ドナルド・トランプ落選をほぼ確信。希哲館事業にとっても重要だったこの4年についてよく考えた。
10日,第一次総括から2年あまりの歩みをまとめる「第二次総括」を始めることにした(後にこれを兼ねることになる「メカソクラテスの弁明」まで停滞)。
少し気分が弛緩していた中,叔父についての悪い報せを受け,希哲館事業の成功を急ぐ理由を思い出した。白熊作戦は短期決戦路線を維持し,デライトの成功は翌年11月1日まで見ておくことを考え始める。
12日,今度は姉が実家に来ているうちに調子を崩した(1週間ほどで復調する)。
13日,正式にデライト収益化の期限を翌年11月1日に延長することを決めた。
20日頃から自分でデライト宣伝に変化を感じるようになった。ツイストに重点が移る。
24日,この1ヶ月ほどの生活の変化と待欄調整による自制の結果として自身の描出量が激減していることもあり,デライトが高頻度利用に最適化され過ぎていることを問題として認識した。
25日,この問題を意識して書いたスレッド(デライトの特性について)中のあるツイストが一部で話題を集める(N10K 騒動)。
以後,「メカソクラテスの弁明」と呼ぶことになるツイスト群を練りながら今後のデライト市場戦略について再考し始める。
希哲12年8月17日から可能な限り毎日付けることにした。
希哲13年7月17日の日記から,「(日付)の日記」という知名で記録することにした。これまでは日付のみの知名で書いていたが,何かと混同の恐れがあった。例えば,後からその日の出来事などについて加えたい記録と,当時の日記として残しておきたい記録の区別がしにくい。