{ネット信仰はどこから来たのか K#F85E/5B28-C737}

昔からメディアリテラシーは私の関心事だったようで,振り返ってみると,それについて色々な文章を書いている。

『寓話『狼少年』とメディア リテラシー』では,情報源を「完全に信用出来るもの」と「完全に信用出来ないもの」でしか認識しないことの危険性を論じた。『「マスコミ対ネット」という虚構』では,「マスコミに対立するネット」という幻想について論じた。『マスコミ不信の根底にある経済格差』では,「マスコミ不信」の原因について掘り下げて論じた。ごく最近でいえば,『常磐道あおり運転暴行事件で考えるネット私刑』という文章もある。

この頃,「ネット信仰」はどこから来たのか,ということもよく考える。昔からネットにどっぷり漬かってきた身からすると,「ネットではマスコミが伝えない真実を知ることが出来る」というような信念がどこから来ているのか,かえって不思議に思えてしまうのだ。ネットに流れる適当なデマを鵜呑みにして,それを「隠されている真実」だと思い込んでしまう態度は「ネットde真実」などと揶揄されているが,それを笑っているだけでいいものだろうか。

昨日,ドナルド・トランプ氏が記者会見『朝日新聞』記者の質問を受けた際,〈just left〉という言葉を発し,続けて安倍晋三氏に対する社交辞令を述べた。これは普通の英語話者なら「今出ていった(彼)」という意味で受け取るが,これを「左翼」の意味だと解釈してしまった人が「トランプ大統領が朝日新聞を批判し安倍首相を賞賛してくれた!」とツイートし,それに4桁のリツイートが付く,という珍事が起きた。トランプ氏の英語はいい加減なことで有名なので,どういう意図で使ったのかは本人にしか分からないが,客観的に見てこれを朝日新聞批判に結び付けるのは無茶だろう。

いまリベラルはこれを笑い種にし,いかに保守層無教養であるか,と喧伝している。もちろん,この幼稚なデマを発信したのも引っかかったのも愚かで恥ずべきことではあるが,その程度の教育しか受けられず,閉塞感から右傾化している人々をエリートはただ嘲笑うだけ,という状況にも私は心が痛む。それで保守層が「自分達は馬鹿だからリベラルに従おう」となるわけもなく,リベラル・エリートへの反感に油を注いでいるだけだ。

これは笑い話で済むかもしれないが,先の常磐道あおり運転デマ事件のように,どうしようもないネットデマが誰かの人生に深刻な被害を与えることもある。この種のデマは往々にして,「マスコミが伝えない真実をネットが暴く」という使命感から生じていることが多い。それはいいとして,問題は,その「真実」を見分ける努力をせず,ただネットに流れていたから,というだけで信じ込んでしまう人が多いということだ。

マスコミに対するネット,という観点に意義があるとすれば,従来「一握りの発信者」が担っていたものを「一人一人の発信者」が担おう,ということに他ならない。それは全ての個人が確かな目を持ち,情報媒体としての責任を持つ,ということだ。しかし現実のネットは,多くの人が情報を無責任に横流しするだけのものになっている。その結果が幼稚なデマの氾濫なのだ。これではマスコミ批判説得力を持たせることも出来ない。

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